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「海水浴に訪れる人のために」開業した大磯駅

 ただ、実はもともと「海水浴」という言葉は、いまのように海で泳いだり浮き輪にぷかぷか浮いたりすることを意味してはいなかった。日本では、“潮湯治”などと呼ばれる自然療法のひとつだった。古くは鎌倉幕府3代将軍の源実朝も、鎌倉の海に入って病を癒やしたという。つまり、温泉などと同じような役割を持っていたのが昔の海水浴というわけだ。

 

 西洋でも一般的だったその療法を、国内に広めたのが件の松本先生。そして、初めて本格的な潮湯治の場として海水浴場を開いたのが、大磯であった。ほどなく学校教育の中でも海で泳ぐ水練が定着し、徐々に潮湯治としての海水浴は姿を消して、いまのようなレジャーとしての海水浴に変わってゆく。

 ただ、発祥の地が本当に大磯だったかどうかは怪しいところもあって、療養施設としての海水浴場の類いは明治の初め頃に各地に設けられている。大磯はいわばそのひとつ。むしろ、大磯はレジャーとしての海水浴場として名高くなり、1900年に発表された『鉄道唱歌』の中では、大磯は「海水浴に名を得たる」と歌われている。

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 少なくとも、明治の終わり頃には大磯は湘南の海水浴場の代表格として一定の知名度を得ていたことは間違いなさそうだ。湘南=海というならば、湘南発祥の地が大磯であるというのも、あながちムリのない理屈なのかも知れない。1887年に開業した大磯駅は、「海水浴に訪れる人のために」と松本先生の提言によって設けられたという。

 ちなみに、海水浴場発祥の地となった大磯の照ケ崎海岸は、いまでは波が高くて遊泳禁止。大磯の海水浴場は東側に広がる大磯海水浴場に集約されている。

 

海からの路地はいかにも“小さな湘南の港町”の風景が続き…

 大磯の、湘南の海を眺めたら、再び国道1号に戻る。海から旧東海道までの路地はほとんどが住宅地である。その中には、ところどころに釣り人向けの店だったり、鮮魚を扱う店だったりが点在している。いかにも小さな湘南の港町といった雰囲気だ。

 

 旧東海道に戻ると、そこに昔ながらの宿場町の面影が加わる。道沿いには松並木もある。きっと、江戸時代の弥次さん喜多さんも歩いた松並木なのだろう。

 

 また、平安末期から鎌倉時代初期にかけての歌人・西行が「心無き 身にもあはれは 知られけり 鴫立澤の秋の夕暮れ」と詠んだことでも知られる鴫立沢にルーツを持つ、鴫立庵という俳諧道場もある。

 

 その目の前の東海道沿いに建っているのが、「湘南発祥之地」と書かれた石碑だ。駅前にも同様の碑があるし、とにかく大磯は湘南発祥であることへのアピールに忙しい。そろそろこのあたりのナゾを解き明かしておかねばならない。