2006年の映画『バベル』で一躍注目を集めた菊地凛子。だがそこに至るまでは順調ではなかった。ブレイクまでの道のり、そして映画『ノルウェイの森』(10年)で人気を不動のものにする日々を振り返る。(全2回の1回目/続きを読む)
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「私は可愛らしい雰囲気ではない。上手く笑えない」
――デビュー直後はオーディションを受けても次々に落ちるような時期が続いていたんですよね。
菊地 そうなんです。だから役者じゃない道を考えないといけないのかなって思っていました。当時のオーディションでは、俳優として役をどう演じるかということより、役者自体が人間として美しいほうがいいという周りの考えがありましたよね。
でも私は可愛らしい雰囲気ではなかったし、うまく笑うこともできなかった。自分が観て、憧れてきた俳優業と、実際の目の前の状況とのギャップにうまく折り合いを付けられなかったんです。本当に自分がやりたいことは遠くにあるんだなって。行ってもどうせ落ちるし、みたいな感じで半分グレていました(笑)。
――初めて大きな役を手にした作品が『空の穴』(2001)です。熊切和嘉監督は、学生運動の内部抗争をスプラッター描写とともに描いた前作『鬼畜大宴会』(1997)で話題になっていました。
菊地 オーディションに行く前に『鬼畜大宴会』を観て、この監督なら一本気な女の子は選ばないだろうなと。実際に熊切さんは、私ががんばって笑っている宣材写真を見て、キラキラした子はいらないと思ったらしいんですね。でもオーディションに現れたのはぶすっとした子で、それが面白かったとあとから聞きました。
考えてみれば、デビュー作『生きたい』(1999)の新藤兼人監督も、まったく笑わなかったから選んだと言ってくれたんです。それは緊張していただけなんですけど(笑)、熊切さんの現場ではただ役と向き合えばいいんだということを教えてもらいました。歳の離れたお兄ちゃんみたいな人だったし、映画を撮る楽しさを教えてもらった気がします。
――本名の「百合子」から「凛子」に改名したのは2004年5月でした。『バベル』のオーディションを受ける頃ですか?