転機の一つになったのは改名だった
菊地 たぶん直前だったと思います。『空の穴』でラッキーなことに商業映画のヒロイン役をいただいたものの、それからポンポンと作品が決まるわけじゃなかった。それなら具体的に行動しなきゃと思って、事務所を移籍して、そこで改名したんです。スタイリストの北村道子さんが「百合子って昭和の女優みたいじゃない?」というので、改名しようって。
すごく前向きな気持ちでしたけど、気になっていたのは年齢で、若いうちに代表作を作らなきゃいけないと思っていましたね。日本で俳優の仕事を続けていくには、とくに女性の場合、30歳までに売れないとその先が続かないように思えたので。やり直すにしても、私は不器用だから、たぶん簡単にはやり直せない。だったら25歳までになんとかして代表作を持たなきゃと思って、『バベル』のオーディションを受けたのが24歳の頃だった気がします。
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督のそれ以前の作品を観ていて、人間のざらついたところをよく見ている、しかもそのざらつきを美しく撮る監督だなと思っていたんです。とにかくこのチャンスを逃しちゃいけないと必死でした。
――『バベル』(2006)で扮したのは聾者の女子高生役でしたが、このときのオーディションは約1年にわたって続いたんですよね。
菊地 毎月ビデオオーディションがあって、アレハンドロ監督には実際の聾者の方がいいという希望がありました。チエコという役でしたが、監督はリアルにチエコを探していた。聾学校にうかがって、聾者の方たちのいろいろな話を聞けたのは大きかったです。そこで彼女たちの明るさとか、抱えている痛みや苦しみとかを感じることができて、そのうち私が使っている日本語も、彼女たちが使う手話も、どちらも同じ言語のひとつじゃないかって考えるようになりました。だったら私と彼女たちは変わらないはずだし、大事なのは演じることだって気づくことができたんですね。
その過程で彼女たちに少しずつ近づいていけたような気がします。オーディションの結果が出たあと、すぐに撮影に入ったんですけど、そういう意味では1年かけて役作りをしていたようなものだったのかもしれません。