人生初のインセンに恐怖
ヘルパーの手際の良さを目の当たりにし、的確なアドバイスを聞きながら、やはりプロはすごいなぁ、そう感嘆した。一方でヘルパーがいない時間、自分が一連の作業をすることに冷や汗が出そうだった。
正直に言えば、私は父の陰部を見たくない。ましてや陰茎や陰嚢を両手で洗うなど絶対にイヤだ。
それまでも父がこだわった布パンツや汚れたズボンを替える際、陰部を目にしたことはあった。その都度、見てはいけないものを見てしまったようなざわついた気分を覚えたが、今後は「さわって、洗って、拭いて」、それをあたりまえとして行わなくてはならない。
息子2人を育てた私には、当然オムツ替えも、異性である息子たちの陰部を洗った経験もある。過去には複数の男性との性的関係があり、そういう異性の陰部はむしろ愛おしいものだった。
けれども父親という存在はまったくの別物だ。その陰部を洗うことなど想定になく、人生初のインセンに恐怖すら覚える。
インセンについて語り合える友
ほかの人はどうしているのだろう、そう疑問がわいた。娘が父親の、息子が母親の、要は異性の親のインセンをする際、抵抗はないのだろうか。
数年前まで父親の在宅介護をしていた女友達に電話をした。インセンへの抵抗感を伝えると、ハハハッと大きな笑い声が返ってきた。
「言っておくけど、赤ちゃんのオムツ替えとは違うよぉ。年寄りはお尻にシワも寄ってるし、ウンチがシワの隙間に入ってもう大変。チンチンだってびろーんと垂れ下がってるでしょ。だからチンチンをつかんで持ち上げて、タマタマの裏側もよく洗って、下手したら肛門に指まで入れて残ってるウンチを掻き出すとかさ。そういうこと、全部やらなくちゃならないわけよ」
介護関連の情報は山ほど出回っている。介護保険の仕組みとか、お勧めの老人ホームとか、介護人材不足とか、いずれもマスコミの恰好のネタだ。けれどもこんなふうに「生きた言葉」、本当の意味でのなまなましい体験談に接したことはなかった。
「タマタマの裏側? 肛門に指を入れる? ほんとにやったの?」
「やったに決まってるでしょ。だからアンタの抵抗感もよくわかる。誰だってそんなことやりたくない。仕事ならともかく、身内っていろんな感情があるもんね。でもやらなきゃならないってなると、もうしょうがないじゃない。そのうち慣れるからさ」
そのうち慣れる、さすが体験者は言うことが違う。女同士のざっくばらんな会話に気持ちも軽くなり、そういう人間関係があることがつくづくありがたかった。
多忙な仕事を抱えてきた私だが、一方では家事に子育て、近所づきあいやPTA行事など仕事以外の日常もこなさなければならなかった。明日の家事の心配もなくみずからの業務に没頭し、順当に出世していく周囲の人たちを見ながら、羨んだり、引け目を感じたことも数知れない。それでも人生とは不思議なもの、自分の気づかないところで得た何かがあるからこそ、インセンについて語り合える友がいる。
「ヘルパーさんにもやり方を教わったんだけど、本当にうまくできるか心配でさ。困ったときには電話していい?」
「もちろん。っていうか、私がアンタの実家まで行って手取り足取り、ついでにチンチン取りで教えてやろうか」
ハハハッ、女友達はまた豪快に笑い、つられて私も吹き出した。
看取りはひとりではむずかしい。医師や訪問看護師、ケアマネジャーやヘルパーがそろっていても、それらとは別の人、心の内をさらせる誰かが必要だ。
インセンだってそのうち慣れるさ、女友達に助けられた私は、ともかくも前を向くことにした。