「俺は家で死ぬ」
入院も施設入所も拒み、住み慣れた家で最期を迎えることを望んだ父を、遠方から支え続けたジャーナリストの石川結貴さん。当初は「なんとかなるだろう」と考えていた。だが、「家で死ぬ」という父の希望を叶えるには、思いがけない壁や葛藤があったという。
ここでは、石川さんが3年間の遠距離看取り体験を綴った『家で死ぬということ ひとり暮らしの親を看取るまで』(文藝春秋)より一部を抜粋。石川さんが、88歳の父の「加齢による衰え」を実感した、思いがけない出来事とは――。(全2回の1回目/続きを読む)
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「自分らしい生活」のほころび
元小学校教員の父は、母亡きあと、地方の街で10年余りひとり暮らしをつづけていた。携帯電話を持たず、運転免許も返納せず、「俺は元気だ、大丈夫だ」と言い張っては、自分の主張を曲げようとしない。
そんな父が大腿骨骨折の重傷を負い、介護保険申請で要支援2と認定された、ところが翌年の更新時に「非該当(自立)」とされ、介護サービスが打ち切られてしまう。
おまけに末期腎不全で人工透析を勧められた父は、「入院や施設などイヤだ」と断固拒否。専門医療とつながらず、介護保険も使えないという、まさかの事態に陥った。
一方で当人は、相変わらずのひとり暮らしをマイペースに過ごしていた。
多少の排泄の失敗はあっても、汚れたパンツを穿き替えて洗濯する。ひとりで買い物に行き、簡単な食事を作って食べる。共同浴場に通い、顔なじみと一緒に温泉につかる。父の日常は一見自立しており、言い方を変えれば「自分らしい生活」を送っていた。
好きなものを食べ、行きたいところに行き、過剰な薬や面倒な検査とは無縁のマイペース人生、それは週刊誌の記事にでもなりそうな「理想的な超高齢者像」とも言えた。実際、「90歳でもピンピンな高齢者から学ぶ」とか、「人生100年時代を最後まで元気に生きる秘策大公開」とか、最近のマスコミは超高齢期をいかに元気に、自分らしく過ごせるかといったポジティブ志向が目立つ。私もその一端に身を置く立場だが、父の現実を目の当たりにすればそうそうポジティブではいられなかった。
自分のことは自分でやり、自分らしさを大切に生きる、それ自体は確かにすばらしく、誰しも理想とするところだろう。一方で、自分のことを自分でやるからには「自立」と判断され、介護保険が使えないまま適切な支援を受けられない可能性がある。
自分で考え、選択し、行動することは大切でも、逆に見れば頼りにするのは自分だけ。自分で食事を作らなければご飯は食べられず、自分で洗濯できなければ下着は汚れたままだ。
どれほど元気な高齢者だったとしても、加齢による身体機能の衰えや認知力、思考力の低下は避けられない。40代と60代の体力や気力が異なるように、70代の高齢者が思い描く人生の締めくくりと、実際に最終コーナーに差し掛かっている90近くの高齢者の生活は違うのだ。
父が外貨建て保険商品を購入していた
父の場合で言えば尿漏れだけでなく、鍋を火にかけたまま焦がしたり、干した洗濯物を取り込むのを忘れたり、銀行のATM操作がスムーズにできなくなったりと、日常の中にいくつものほころびが生じていた。いわゆる「年のせい」で誰にでも起こり得ることだが、ひとつ間違えば火事を出すなど惨事を招きかねない。
歩く速度も格段に遅くなり、信号が赤に変わっても渡り切れなくなった。同じ話を何度も、それも延々とつづけたりする。とりわけ思いがけない出来事は、なじみの銀行員の勧誘で外貨建て保険商品を購入したことだ。
私がその一件を知ったのは偶然に近かった。いつものように父に体調確認の電話をし、「ご飯は食べたの?」などとたわいない会話をしていると、突然父が声を潜めた。
「おまえには話してなかったけど、実は困ったことがあるんだよ」