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「五郎死ね五郎死ね五郎死ね…」

――お母さまもかなり我慢されていたのでは?

ダンプ それはもう、耐えて耐えてだったと思う。でも、シュンとしたり鬱になるような感じじゃなかったね。母は体も小さいし弱々しそうに見えるんだけど、気は強いんじゃないかな。それは最近歳とってからわかったんだけど、だから我慢できたんだよねって。今までお母さん可哀そうとばかり思ってたけど、いやぁ、しぶてーよ。ほんと、しぶてー(笑)。今91だけど、頭もしっかりしてるし元気だよ。一人で掃除洗濯、ご飯も何でもやるから。買い物とか病院には付き添うけど、まぁ、強えやねー(笑)。

――お母さまが、当時の思いを日記に書いていたそうですね。

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ダンプ 父の名前が五郎って言うんだけど、「五郎死ね五郎死ね五郎死ね…」ってノートにぎっしり書いてあった。元々字を書くのが好きなんだけど、恨みつらみも全部ノートに書いてたみたい。絵も上手でさ、お墓の絵…、「五郎の墓」って筆圧強めで書いてあるの(笑)。これ、どういう気持ちで書いてたんだろうって思うと笑っちゃって。「嘘つき五郎噓つき五郎…」って、わら人形に釘打つみたいな感じで書いてたのかなって思っちゃうよね。

――ダンプさん自身も、ダンプさんがプロレスラーを目指したのは、お父さんを倒したかった、といった思いもあったとか。

ダンプ 死んじゃえばいい…!って、思ってたからね。父より強くなりたかったし、お金を稼いで母を楽にしてあげたいなって。実際、プロレスラーになってお金が入るようになると、母のために一戸建てを買ったんだよ。当時は犬も飼っていたので、父は犬の世話をするって役割で一緒に住まわせてあげたって母が言ってたけど(笑)。

©杉山秀樹/文藝春秋

 まぁ、母も日記に色々書きつつも、父が酒飲まなければ夫婦仲も悪くはなかったんじゃない?二人で車に乗ってよく出かけてたし、おにぎり作って二人で花見に行ったり、色々な場所に行って写真も撮ってみたり、夫婦ってよくわからないね。

――ダンプさんが高校卒業後、プロレスの世界に入ってどんどん活躍されていきました。しかし、お父さまの体が年々弱っていったそうですね。