「よく、ポジティブな感情を表すものとして『上を向く』『空を見上げる』といった表現が使われますよね。でも『らんまん』は逆で、足元をよく見る物語なんですね。道端や野に咲く植物にひざまずいて近づき、見つめるのが万太郎の『日常』です。彼は『他の人が見ていない世界を見ている』人。だから物語としても、普段はあまり目を向けられることのない『人』や『こと』をちゃんと見据えるような世界観を意識しました。
エンターテインメントの鉄則であり、僕も常々頭に置いている『大きい嘘はついても、小さい嘘はつくな』という教えがあります。ディテールの作り込みをいい加減にやると、すごく手を抜いた感じが出てしまう。全体が『嘘』になっちゃうんですね。だから、細かすぎて『普段は目を向けられることのない』部分にも、かなりこだわっています。そのぶん時間はかかるし、スタッフは大変なんですけれど」
万太郎が植物の標本を包む「新聞紙」にも驚きのこだわりが
筆者が特に驚いたのは、万太郎が植物の標本を包んでいる新聞紙。静止画にしてよく見てみると、当時のニュースはもちろんのこと、求人欄や広告に至るまで細かく作り込んである。「新聞」ではなく「新聞紙」として使われる小道具に、ここまでこだわる気概に圧倒された。渡邊氏はこう続ける。
「脚本作りの最初の段階で、植物監修の田中伸幸さんといろいろお話をするなか、モデルである牧野富太郎さんの標本が、思わぬ別のところで評価されていると伺ったんです。
牧野さんの標本を挟んだ当時の新聞は、植物採集で辿った足どりにしたがって、高知の地方紙から中央紙、そして全国各所の地方紙に至るまで網羅されている。それが歴史的資料になっていると。植物標本とともに、それが採集された時期にどこで何が起きていたか、人々がどんな暮らしぶりであったかがわかるんですね。ああ、これは面白いなあと思って。なので、当時の新聞を調べて、紙も似たような質のものを取り寄せて作りました。
『こんなに細かいところまでテレビには映らないから、手を抜いてもいいんじゃないか』という考え方もあると思います。けれど、『らんまん』に携わるスタッフは、この作品を面白いと思ってくれて、この作品を素晴らしいものにして視聴者の方々に届けたいと願っている。『そこで手を抜くのは恥ずかしいことだ』と思えるモチベーションを、みんなが保ってくれているのを感じます」
母・ヒサの「見えんでも、おる」という台詞に込めた思い
本作のこうした、細かすぎて物理的に「見えない」ものへのこだわりには目を見張るが、観念的な「見えないもの」の描写も白眉だ。