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 第1週「バイカオウレン」で、余命いくばくもない母・ヒサ(広末涼子)が万太郎に遺した「見えんでも、おる」という言葉。その言霊に導かれるように、このドラマには「思い」や「志」などの、目には見えないが確かに存在し、そして「引き継がれていくもの」がくっきりと現れている。

 この「見えんでも、おる」というヒサの台詞は、渡邊氏のアイデアから生まれたという。

幼き日の万太郎 ©NHK

「僕が2010年にチーフ演出を担当した『ゲゲゲの女房』でも『見えんけど、おる』という言葉が使われていて、それと似ているんですが、『ゲゲゲ~』のときは、妖怪など、見えないものの存在価値をどう考えるか、というのがテーマでした。

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 対して『らんまん』は植物の話なので、対象物がはっきりしている。だから今回はそれをどう観察して、どういうふうに世の人たちに見せることができるか、ということを考えました。同時に、それが万太郎の仕事であり、やりたいことでもあります。

 植物という対象物に映る『気持ち』とか『心情』とか、あるいは第1週で言うと『思い』。それらは見えないけれど、でもその『思い』がいつか何かの形で結実するという話になるから、『見える』。その『背景』にあるのが何なのか、ということをドラマとして描かないといけない。ただ単に植物を見つけて、研究して、発表して……というだけのドラマでは、見ていて面白くないですよね」

文学的表現をいかに映像化するか

 綿密な本打ち(脚本打ち合わせ)により、渡邊氏をはじめとするスタッフのアイデアや意見も多く脚本に注入されているという。脚本家・長田育恵氏の書く物語の印象を聞いてみると、

「長田さんとは『旅屋おかえり』(2022/2023、NHK BSプレミアム)というドラマで2年ぐらい一緒に仕事をしたなかで、なんとなく考え方の方向性が似ているなと思っていました。『らんまん』の企画がスタートしてからも、『こういう感覚』『こういう世界観』だよね、という互いの認識が、わりと同じ方向だったと感じます。長田さんは戯曲のご経験が長いこともあり、思考が文学的なんですね。

 しかし、文学的表現というのは、映像化するときにすごくハードルが上がるんですよ。たとえば、植物に代表される『もの』に何らかの感情を乗せていくようなト書きがあったとして、単純にそれを映像として表現すると、ただ物が映っているだけになってしまう。だから、長田さんが描きたいことの『向こう側』を汲み取って、『おそらくこういうことを言いたいんだろうな』というところを僕らは深読みして、映像化しています」

 と、やはり『らんまん』の抒情豊かな映像は、脚本と演出の強靭な“二人三脚”と“以心伝心”の賜物なのだと、再確認させられる答えが返ってきた。