令和の朝ドラに求められる「わかりやすさ」について思うこと
令和の朝ドラには、多様化した視聴者層と視聴スタイルに応じて、「わかりやすさ」と「物語の奥行きの深さ」の両方が求められている。『らんまん』は、その2つの両立という難題を優にクリアしていると感じる。渡邊氏は、令和の朝ドラの「わかりやすさ」についてどう考えているのか、聞いてみた。
「『らんまん』に関しては、パッと見て画(え)的にわかりやすい、ベタなことはやらないほうがいいのかな、と思いました。どちらかといえば、人の思いの『起伏』みたいな部分をきちんと描くことを重視したい。派手なところは派手に、泣くところは泣く、楽しいところは楽しく……みたいな方法論も、もちろんありますし、そういう表現自体を否定するつもりはありません。ただ、この作品では、視聴者の方々に想像してもらう部分を大事にしたいと考えました。
たとえば、阿部海太郎さんの劇伴も、決して『わかりやすい曲』ではないんですよ。阿部さんにぜひ劇伴をお願いしたいと思った大きな理由は、『包容力』。クラシックを基盤とした阿部さんのふくよかな音楽は、悲しいシーンにつければ悲しく聴こえるけれど、楽しいシーンにも同じ曲がつけられたりする。『ここで悲しい曲をかけるから泣いてね』『楽しい曲をかけるから笑ってね』みたいなものとは別のところにある劇伴を、阿部さんであれば作っていただけると思ったし、実際そうなっていると思います。
そういったところも含め、トータルな世界観として『隙間』というか、『含み』を持った作品にしたかった。見る側にいろんな見方ができる、『器が大きい』作品になればいいなと思って作っています」
『らんまん』で描きたかったもの
『ゲゲゲの女房』『まんぷく』『らんまん』と、渡邊氏がチーフ演出をつとめた朝ドラは3作とも、手に手を取って前に進んでいく夫婦の関係性にスポットがあたる作品となった。『らんまん』は、どんな朝ドラにしたいと願ったのだろうか。
「ひとりの人物の、何十年という長い時間の物語となると、それぞれの時代にいろんな人との出会いと別れがある。それを描けるのが、朝ドラの面白さだと思うんです。だから、そのときどきに出てくる人たちが『使い捨て』にならないドラマにしたいという思いが強くありました。
脚本の長田さんにも、その部分はとてもよく書いていただいていると思います。主人公夫婦の他にも、誰しもの後ろに人生があって、『記号的』な人はほとんど出てこない。それぞれのキャラクターがとても人間臭いですよね。出番の多い少ないに関わらず、その人たちが何を背負って生きているのか、それぞれの人物が、それぞれの思いや価値観の中で動く姿を描きたいと思っています」