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いまさら『大田の家族です』って挨拶されても…

 そのことを強く感じたのが、2014年9月、元桜花搭乗員も参加して東京・九段の靖国神社で行われた元零戦パイロットの集い「NPO法人零戦の会」慰霊祭に大屋美千代が、

「ぜひ参加して皆さんとお会いしたい」

 と参列したときである。このとき私も同席したが、仕事が多忙な隆司を大阪に残して、美千代は1人で東京に出てきた。

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「ひと言、ご挨拶をさせてください」

 と、約80名の列席者の前に進み出た美千代は、自分は大田正一の家族であること、大田が1994年まで生きていたことを明かし、義父が発案した桜花で多くの若者が命を失ったことを詫びた。ほとんどの参加者は美千代の言葉をあたたかく受け入れたが、なかには顔をしかめて不快感を露わにした人たちがいた。1928年(昭和3)10月生まれ、終戦時16歳の最年少桜花搭乗員だった浅野昭典もその1人だ。旧知の私に向かって、浅野は苦々しげに言った。

「大勢の仲間が桜花で死んだ。私も死ぬはずだった。いまごろ家族が来て謝るぐらいなら、本人が生きてるうちに戦友会に出て詫びればよかったんだ。逃げ回って一度も戦友会に出てこなかったのに、いまさら『大田の家族です』って挨拶されても返事のしようがない」

飛行服姿の大田正一(写真=『カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父』より)

63歳にしてようやく実現した「父親探し」の旅

 大田正一の実像に迫るにはどうすればいいのか。私は、慰霊祭に参列していたNHK福岡放送局のディレクター・久保田瞳に声をかけた。久保田は美千代の言葉に共感を覚えたという。

 久保田とは、彼女が自らの体験をもとに制作したドキュメンタリー番組「おじいちゃんと鉄砲玉」(2011年)の取材に協力したことがきっかけで知り合った。

 2010年7月、久保田の祖父・北島源六(享年90)が亡くなり、荼毘に付すと、頭蓋骨にめりこんでいた弾丸の破片が見つかった。生前、戦争体験をほとんど語らなかった祖父が、唯一、孫の久保田に話していたのが、開戦直後の1941年12月10日、マレー沖海戦で一式陸上攻撃機に搭乗し、イギリスの最新戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈したことだった。祖父は、このとき被弾したのだろうか。真相を知っているのだろうか、なぜか祖母の口は重い……。久保田は、生前祖父の元に届いていた手紙を手掛かりに戦友を訪ね歩き、やがて祖父が心に秘めていた「必ず妻のもとに帰ってくる」という思いを知ることになる。

 久保田が体当たりで制作したドキュメンタリーは、2011年5月2日、「ドキュメント20min.」の20分番組として放送されるや、孫が祖父の秘密をたどってゆく出色の映像作品として注目を集め、9月4日には59分の拡大版が「ETV特集」枠で放送された。