文春オンライン

終戦、78年目の夏

「生きているとなったら家族にも迷惑がかかる」“人間爆弾”と呼ばれた特攻兵器「桜花」発案者の生存が“戦後のタブー”になった本当の理由

「生きているとなったら家族にも迷惑がかかる」“人間爆弾”と呼ばれた特攻兵器「桜花」発案者の生存が“戦後のタブー”になった本当の理由

『カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父』より #2

2023/08/13

genre : ライフ, 社会

note

下士官兵たちが士官を襲撃する事態が発生

 植木は、大田にまつわる印象的なエピソードを語った。猛訓練を重ねながら、刻々と迫りくる「死」を前に、隊員たちの心がしだいに荒み、殺気立ってきた1945年1月のことである。

「桜花隊でね、騒動が起きちゃったの。要するにね、士官と下士官の騒動が起きただよ。下士官がみんな白鉢巻きをして士官室に殴り込みをかけた。抜刀してね、それで士官のもとに押しかけたときに大田さんが出てきて、『俺を斬ってからいけ!』……それで下士官は引き揚げただよ。わかるかね? だから大田さんは、これ(桜花)に乗って行った連中の気持ちも十分承知してたんだよ」

 植木の言う「騒動」は、1月8日に起きた。私がかつて神雷部隊の複数の関係者から聞きとったところでは、この日は月曜日だったが、夕方から神之池基地に東宝の慰問演芸隊がやってきた。演目は大辻司郎の漫談や、女優・轟夕起子、三国瑛子らの歌、寸劇などで、隊員たちは楽しいひとときを過ごしたという。

ADVERTISEMENT

 ところが公演終了後、「士官が退場してから退場せよ」との指示を無視して先に退場した下士官を士官が殴ったことをきっかけに、日頃から積もり積もった下士官兵たちの鬱憤に火がついた。

 イギリス海軍を範とした日本海軍では、士官と下士官兵のあいだには、貴族と労働者階級にも擬せられるほど苛烈な待遇差がある。住む宿舎もちがえば食事もちがう。同じ飛行機に搭乗する者同士でさえ、名字と階級だけで下の名前を知らないことが多いほど、日頃から互いに疎遠である。

 部下を大切にし、下士官兵に対し偉ぶらずに接する士官もいるにはいたが、大学や専門学校を経て1943年秋に海軍に入ったばかりの予備士官のなかには、階級をかさにきて経験豊富な下士官に横柄な態度をとったり、飛行場の立ち入り禁止区域に勝手に入って写真を撮るなど、顰蹙(ひんしゅく)を買う行動をとる者も少なくなかった。

「海軍に入ったとき、『下士官兵を人と思うべからず』と教えられた」

 と私に語った元予備士官もいたから、これは海軍の速成士官教育の欠陥だったのだろう。

特攻兵器「桜花」の発案者、大田正一(写真=『カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父』より)

大田は上層部にうまく利用されたのではないか

 そしてこの晩、ついに堪忍袋の緒が切れた下士官兵たちが、手に手に棒やビール瓶を持ち、日本刀まで持ち出して士官宿舎を襲撃したのだ。士官たちの個室のガラスが次々と音を立てて叩き割られる。驚いて出てきた予備士官と下士官兵の200名ほどが宿舎の前でにらみ合い、一部では乱闘も起きた。そこへ大田が飛んできて、号令台に上がるやいなや大音声で、

「下士官退け! 上官抵抗は銃殺だぞ、知っているのか!」

 と怒鳴り、

「こういう兵器を発案した俺が悪かった。やるならまず俺を殺してからやれ!」

 と、体を張って止めに入った。大田の剣幕に、いきり立っていた下士官たちもわれに返り、それをしおに騒動はおさまった。襲撃した下士官のうち、主犯格の2名がのちに軍法会議にかけられ、うち1名が有罪となって横須賀市大津の海軍刑務所に収監された。

関連記事