小学生の頃、友人たちとの喫煙が親にバレてしまった若井凡人氏。その後、ヤクザの組長をしている父親から受けた「2度とタバコを吸いたくなくなる」きついお仕置きとは……?
ヤクザの組長の息子視点で、ヤクザ社会を描いた若井凡人氏によるエッセイ『私は組長の息子でした』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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組長の教育論
「勉強はちゃんとせいよ」
小学校の高学年になった頃でしょうか、突然、父がそんなことを言い出すようになりました。
「遊ぶのはもちろん大切だが、勉強も大切やぞ」
私が事務所で遊んでいるのを見つけると、しつこいくらいに「勉強、勉強」と言ってくるのです。
ヤクザである父が「勉強しろ」というのも不思議な感じがしますが、父は中卒で社会に出ていますので、学歴の重みが骨身に染みていたのでしょう。父は私が跡を継ぐことを望んでいませんでしたので、しっかりと勉強をして、ちゃんとした仕事についてほしい、と考えていたようです。
しかし、だからといって父は教育熱心だったのか、というと決してそんなことはありませんでした。無理矢理机に向かわされるなんてことは皆無でしたし、勉強を見てもらったことすら一度もありません。まあ、父も学校の勉強は嫌いだったようですし、はたして見てくれたところで勉強を教えることができたかどうかは、はなはだ疑問ですが……。
そんな感じで、父から勉強を教わった記憶はないのですが、それでも“生き方論”とでもいうのでしょうか、そういった教育はされてきたように思います。
父の教育は遊びの場でも実践されていました。たとえば、山に遊びにいったとき、父は野鳥の捕り方や食べられる植物の見分け方などを教えてくれました。口では「こうしろ!」とは言いませんでしたが、組員たちへの振る舞いなどを通して、人と人との付き合い方なども教わりました。
言うなれば、父は背中を通して、ひとりの男としての生き方や処世術を教えてくれた気がするのです。