アメリカのボストンに暮らし、小児精神科医、ハーバード大学准教授であり、『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)の著書がある内田舞さん。広島にルーツを持ち、幼少期から海外で暮らす中で、戦争について学ぶこと、伝えることの大切さを痛感してきたといいます。
終戦記念日にあたる今日、8月15日。これまでにいくつもの国で、様々な人と語り合ってきた戦争体験についてご寄稿いただきました。
私たち戦後世代は、戦争から学ぶことができているのでしょうか?(全2回の1回目/続きを読む)
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戦後生まれの親を持ち、高度経済成長を経た日本で平和教育を受けて育った私は、幼少時から海外で過ごす期間も長く、日常的に「国際社会の中の日本」について考えさせられ、数少ない日本人として日本を語らなければならない機会も多くありました。その一つが広島をルーツに持つ私の親戚の被爆体験でした。
私が海外に暮らしたバブル経済に突入した80年代から90年代、海外では日本と言えば「日本車」「電化製品」「ビジネスマン」のイメージでしたが、それと同時に第二次世界大戦における「加害者」「悪者」「敗戦国」という言葉で表されることも少なくなかったのです。確かにこれらの言葉は間違いではありません。しかし、幼い私には自国をネガティブに形容する言葉がグサリと刺さりました。
他に日本人が一人もいないような環境に身を置きながら、海外の歴史の教科書には書かれていないような祖父母の戦争体験を聞くこと、そして実体験をもとに書かれた小説や漫画のストーリーの大切さを幼い頃から実感していました。特に原爆投下の正当性を謳うアメリカ人との会話の中で、被爆体験を生きた身近な話としてシェアするのは私の「使命」になったところがあります。
たとえ核兵器保有や原爆投下の正当性について意見が違ったとしても、距離が埋まらないとしても、核兵器使用後の生き地獄を人間が二度と経験しないために、そして人間同士がこれほどまで命の尊厳を軽視してしまう戦争が二度と起らないために、政治的議論や統計ももちろん重要ですが、それ以上に加害も被害も含めた「経験への共感」が必要だと思うようになったからです。
私が出会った「戦争体験」
では翻って戦後生まれの私たち日本人は、国や立場を超えて、他者の経験に共感し、学ぶ姿勢を本当に戦争から得て生かすことができているのでしょうか? 終戦記念日の今日、私が今まで出会った「戦争体験」を通じて考えてみたいと思います。