軍国主義時代の日本で育った彼女は、自主的な変化を求めることが許されない環境で生きる日本人の特性を良く知っていました。だからこそ「日本が本当に民主主義国家になれるだろうか」と不安が消えず、最高の法規範である憲法に、女性や子どもの権利を自分の力で饒舌に書き込まなければならないと強い使命を感じたと言います。
こういった戦争にまつわるストーリーに触れる度に、「どうしてこうなってしまったのか」を私達は本当に理解できているのだろうかと、焦燥感に駆られます。そして、戦後に与えられた権利をしっかり誰もが行使できるような国になれているだろうか、与えられた人権を更に成長させられているだろうか.……と考えると、いてもたってもいられなくなるのです。
ドイツ人の友人が受けた、ナチスに関する学校教育
私は高校時代、アメリカ・マサチューセッツ州にあるスミス・カレッジで、女子高校生のための科学プログラムに参加したのですが、心理学の講義でナチス・ドイツが扱われたのを覚えています。
そのサマーキャンプで私がいちばん仲良くしていたのが2つ年上のドイツ人の女の子で、彼女はドイツ国内の宇宙物理学コンクールに優勝し、このサマーキャンプへの参加が贈られたそうです。アメリカで戦時中の日本について語られるたびに違和感を覚えていた私は、アメリカ人が語るナチス・ドイツについて、隣に座る彼女がどんな気持ちで聞いているのかが気になりました。
その後、声をかけると、彼女はドイツで育つ中でナチス・ドイツについて受けた教育について語ってくれました。
彼女が受けた学校教育では、歴史だけでなく国語や科学など、あらゆる科目でナチス・ドイツの過ちについて語られたそうです。例えば歴史の授業においては、国民がナチスを支持するようになるまでの過程をたどりながら、「どの段階でどんな対応をすればナチス結成が避けられたか」をグループごとに考える機会があったと。
あるいは、「ナチスの世界観の中ではユダヤ人はどのように見えたか」を書くレポートの課題が出され、「そういった選民思想が現代社会に表れていることがあるか」、人種差別や移民差別を考えながら議論する授業もあった。さらに「ナチス・ドイツのジェンダー観」について批判的に学ぶ授業もあったと聞いて驚きました。