アメリカのボストンに暮らし、小児精神科医、ハーバード大学准教授であり、『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)の著書がある内田舞さん。広島にルーツを持ち、幼少期から海外で暮らす中で、戦争について学ぶこと、伝えることの大切さを痛感してきたといいます。
終戦記念日にあたる今日、8月15日。これまでにいくつもの国で、様々な人と語り合ってきた戦争体験についてご寄稿いただきました。
私たち戦後世代は、戦争から学ぶことができているのでしょうか?(全2回の2回目/最初から読む)
◆◆◆
世界の中で戦争は続いている
私は幼少期をスイスで過ごしたのですが、スイスは永世中立国で、自国内に国際連盟本部がありながらも2002年まで国連に加入せず、未だにEUにも加盟していないちょっと変わった国です。スイスで暮らす中では、「第一次世界大戦後に国際連盟ができたけど、結局世界大戦がもう一度起きてしまったじゃないか」とシニカルな言葉を耳にすることが度々ありました。
我が家がスイスに移住したのはベルリンの壁崩壊直後。私は小学2年生でした。冷戦の名残を体感する機会がたくさんありました。例えば、住んでいたアパートの地下には核シェルターがありました。核戦争が起こり得る状況が近過去にあったことを全く知らなかった私は、核シェルターの存在や、非常用に用意された水の量に驚いたのを覚えています。
日本においては、「先の戦争」とは第二次世界大戦ですが、東ドイツの友人のもとを訪ねて「東・西」という言葉が使われるたびに、この核シェルターのことを思い出し、「世界を見渡せば、戦争は今も生きていて、第二次世界大戦で終わったのではないんだよな」と実感しました。
帰還兵のトラウマ治療を担当
その後、私は医師になり、イェール大学研修医時代にはアメリカの退役軍人のための病院(Veterans Affairs)で精神科医として、ベトナム戦争帰還兵や、当時、現在進行中だったアフガニスタンやイラクでの戦争から帰ってきたアメリカ兵達のトラウマ治療を担当しました。
彼らから直接聞いた体験はどれも凄まじく想像を絶するもので、しかし多くの兵士が戦争に付随する恐怖体験以上に、自分がしてしまった、あるいはできなかったことへの罪悪感に苦しめられていること、そしてその心の痛みの深さをも学ばせてもらいました。
その中でも強く思い出に残っているのが『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』でも紹介したベトナム戦争の帰還兵のAさんとの会話でした。ベトナムでのトラウマからアジア人嫌いになってしまったAさんが、たまたま精神科医として割り当てられた日本人の私と対話を繰り返す中で、最終的にアジア人の大学生のホストファミリーになったことなど、とても印象に残っています。