現代においても、こういった権利と自由が当たり前ではない事実に触れると、いかにそれが素晴らしいギフトであるかに今更ながら気づかされます。
日本へのメッセージ
だからこそ、戦後を生きる私たち日本人はそのギフトを大切に使っていかなければならない、育てていかなければならないと思うのです。「個人の声の力」と「人権」は、たとえ憲法に定められていても、その権利を使えるような環境と一般市民の意識が追いつかない限りは行使できないものです。
そして、そういった文化や意識の変化は、待っていれば向こうからやってくるものでも、「憲法」のように他国から与えられるものでもなく、積極的に一人ひとりが社会や自身の隠れた偏見などに向き合っていかない限りは、起こりえないものなのです。
例えば、女性の権利がベアテ・シロタ・ゴードン(※)によって日本国憲法に定められても、日本の女性を取り巻く現状を見ると、日本にそれが根付いているのか疑問を持たざるを得ません。医学部入試では女性であるというだけで点数が不利に操作され、家事育児は男性の5.5倍も担い、経済や政治におけるリーダーシップをとる機会は非常に少なく、2023年国際ジェンダー平等ランキングにおいては145国中125位という低い順位に象徴されるものです。
※22歳の若さで日本国憲法作成チームに指名され、日本国憲法に女性の権利を記載した、ユダヤ系アメリカ人の女性。
同じく、G7加盟国のうち、夫婦別姓、同性婚が認められていない国は日本だけであり、マイノリティの人々の人権をめぐる状況もまた問題です。トランスジェンダーに関しては性別改定における法的要件が非人道的な域に達していて、ノーベル賞受賞団体であるヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)からも「著しい人権侵害だ」と名指しで批判されています。
出身国も違えば、加害・被害の体験も様々
被爆体験があるからこそ核兵器保有をめぐっては強い否定の気持ちを持ち、半ば使命感をもってアメリカで親戚の体験を語ることの多い私ですが、ここまで語ってきたように、個々の出身国も違えば加害や被害の体験も様々で、戦争への距離感も思いも異なる場面に遭遇することも多々あります。