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 誤情報を大きな声で拡散し、移民や「反対側の人」といった安易な敵を作り、恐怖と不安をベースに分断を増強し、国内外に「壁」を築くような突飛な政策や他国への攻撃によって支持を得る。まさに非民主主義、独裁政権が政治的目的のために国民の感情を動かす「プロパガンダ」と同じ構図でした。

「鉄のカーテンの中でもう一度生きることはできない…」

 息子達のクラスメートにはロシア人もウクライナ人もいます。侵略後にウクライナから避難して、アメリカに引っ越してきた、まだ英語が話せないクラスメートもいます。

 ロシアによるウクライナ侵略が始まって1か月後くらいに国際文化を祝う学校のイベントが開かれたとき、今までは隣に配置されていたロシアとウクライナの出店を「離した方がいいだろうか」とイベントスタッフは悩んだそうです。しかし、結局今まで通り両国の店を並べて出すことにしたと聞いて安心しました。

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 ロシア人の友人の多くは「母国に住む親戚と話すと、自分たちと全く違う情報を得ているようで、ウクライナ侵略を支持している人が結構いる」と言います。それに関して諦めの気持ちもあるが、「自分たちが子供の頃に味わった『鉄のカーテン』(国策により西洋諸国の商品やメディアがシャットアウトされた状況)の中でもう一度生きることはできない……」と嘆く友人もいました。

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 また、ロシア人の友人は、侵略開始の1か月前の冬季北京五輪における金メダル候補だったロシア選手のドーピング陽性報道に混ざって、「西側諸国がロシアの強さを羨み、ロシアを攻撃している。しかしロシアはそれに屈しない」と訴えるニュースがメディアやSNSで頻繁に流れて、国民の支持を得たというエピソードも語ってくれました。

 友人がトランプ氏の発言と似ていると言っていた、「恐怖と不安をベースに分断を増強し、突飛な策や他国への攻撃性の支持を得る『プロパガンダ』」とは、まさにこのことかと気付かされました。

ロシア人の知人の厳しい一言

 次男の親友の一人であるロシア人のお母さんと話しながら、「メディアに何が映し出されるか、何が伝えられるかの決断に国民が関わることはできないのか? あるいはリーダーを替える力は国民にはないのか?」と私が聞いてみると、「ふふふ。さすが、民主主義の国でしか生活したことのない人の意見ね」と失笑されてしまいました。

 戦後民主主義の中で育った私には、個人の声に力があること、事実の報道を要求する権利があること、また意見を自由に交わせることを、どこか当然と捉えてしまっているところがあります。しかし、戦時中の日本においてもまた、今のロシアと同じように戦況に関する事実が国民に伝えられなかったこと、戦争を批判したり、提示された「信仰」に反対する声は罰せられていたことを思い出しました。