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 そして、それまでは知らなかった「人」を通じたストーリーによって思い込みが剥がされ、受け取った思いの数だけ、私自身の価値観も新たに更新されていくことを実感しています。立場を超えて語り合い、歴史に学ぶことの重要性。その歴史は決して過去のものではなく、いま現在の「不正」に対して声を上げ、変えていこうとする矢印も含まれるのではないか、それが歴史に学び、与えられたギフトを根付かせるために必要なのではないかと考えるのです。

少しずつ沈黙が破られている

 以下、再び『ソーシャルジャスティス』から引用します。

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 公民権運動の主導者だったマーチン・ルーサー・キングJrが、当時黒人差別を容認する人たちのことを、「正義が存在する積極的平和より、緊張の不在に過ぎない消極的平和を好む」と批判しましたが、「緊張の不在に過ぎない消極的平和」とはどんな平和なのでしょうか? 

 それは、誰かの権利や意志が尊重されていなくても「沈黙」を選び、目を背けること、そして習慣化した差別的な固定観念や無意識の偏見があってもそれを「無意識のまま」にすること。その結果、心が傷つく小さな攻撃から大きな実害まで、被害を受ける人がいることを忘れてしまうこと。

 そうはいっても、人種差別やジェンダー問題について話すとなると、「間違ったことを言ってしまうかもしれない」「知識が足りないかもしれない」、あるいは「自分も過去に差別に加担してしまった経験もあるし」と後ろめたく思う場面もあるかもしれません。

 私自身もこんな話をするたびに、まだまだ知識も考察も足りていないと感じますし、また人権感覚ひとつとってみても時代とともに進歩しているので、過去の反省体験もあるものです。しかし、間違うことを恐れて、ただただ傍観者でいるのでは、何も前進しません。

 逆に、間違った言葉を選んでしまうことがあっても、過去に反省があっても、知識が不十分であっても、分断を超えるための考えを共有し、行動することは誰かの苦痛を軽減させる役割があると信じています。

 世界では少しずつ沈黙が破られています。

「正義が存在する積極的な平和」のために必要なことは、なによりも我々一人ひとりが無意識に持っている考えを意識的にみつめる「再評価」の努力なのではないでしょうか。

 自分自身の行動や感情の発露に耳を傾け、自分の意思は自分のものと尊重しながら、自分とも他人とも一面的でなく多面的に向き合うこと。その過程で起こる気づきがアドボカシーの声になり、共感するエンパシーになり、自分事として社会と関わっていく責任と判断に繋がっていくと信じています。

 もう1か所、本書のエピローグから皆さんにお届けしたいメッセージを引用します。

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 国によって異なる時間が流れていて、それぞれの背負う背景も置かれた状況も異なりますが、どの社会も前進を止めないでほしいと思います。気づくことが第一歩。気付きを声にしてみることが第二歩。その気づきの声が共鳴するたびに、社会の歌が生まれます。その歌が社会をさらに前進させる。

 日本はもしかしたら変化を感じにくいムードに覆われているかもしれませんが、まずは自分の思いに素直に耳を傾け、その思いが社会とも無縁ではないと信じてみること。それがソーシャルジャスティスの種になり、そこから未来の分断を超える変化が育つのだと信じています。

 私もまた自分のために、社会のために、未来のために何ができるのか。誰かのために、小さな一歩でも前に進む種まきの手助けができたら光栄だと思っています。