元銀行家で民間から“改革”のために初代宮内庁長官に就任した田島道治氏。敗戦後の1948年から1953年まで昭和天皇に仕えた。手帳や日記帳、「マル秘」と書かれたノートなどには、昭和天皇の発言や二人のやり取りが詳細かつ膨大に記されていた。この夏、貴重な史料が全7巻の『昭和天皇拝謁記』(岩波書店)として完結。編集委員をつとめた名古屋大学大学院人文学研究科准教授の河西秀哉氏が、読みどころを深掘りする。(全2回の1回目/後編に続く)

昭和天皇 ©JMPA

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宮中改革のために派遣された人物

 1948年6月5日、宮内府長官に田島道治が任命された。彼は芦田均首相から長官として送り込まれてきた人物であった。日本国憲法によって象徴となった天皇制を実質化するため、「旧憲法的感覚」を有した天皇側近を一掃することが片山哲前内閣から課題となっていた。そこで、GHQの宮内府の機構縮小要求(それを踏まえ、宮内府は1949年6月に総理府の外局としての宮内庁と改称される)を背景に、芦田は田島を長官にする人事案を天皇の抵抗にもかかわらず押し切った。田島は宮中を改革するために派遣された人物だったのである。

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 田島は元々銀行家で、長く民間におり、宮中の経験はなかった。その彼が、日記とは別に天皇と拝謁(面会)した時の会話を詳細に記録した「拝謁記」を残している。それは、長官となって約8ヶ月後の1949年2月3日から、長官として最後の拝謁となる1953年12月16日までの内容が、会話調で記されている。昭和天皇の発言がここまで詳細かつ膨大に記された史料はこれまでにない。「拝謁記」は『昭和天皇拝謁記』として岩波書店から出版された(第一巻~第五巻が「拝謁記」、第六巻がその時期の日記、第七巻が田島宛書簡や書類など)。

田島道治氏(田島家所蔵)

 その「拝謁記」であるが、始まった翌日の1949年2月4日に次のような記述がある。

〈昨日の七十五才の人の退位請願は、先年海水の写真を見ての投書ありしが、それと類似のことで(御軫念の様子恐縮)御退位問題は現在問題残り居らず、何等此際実際問題にあらざれど、一部に真面目にかゝる問題を考える有識者あることは事実であります、と御参考の為めにと思ひ申上げし所、其辺御了承相成る。〉

 どうも、ある老人から退位請願が宮内府に寄せられた。田島は「御参考」のためにそれを天皇に報告したのである。( )のなかは田島の感想であるが、「御軫念の様子」とは天皇がそれに対して心配している様子を示している。

 これに対して、2月10日の拝謁の時、天皇は「七十五才の退位希望の書面は全部読んだが、腑に落ちない事がある」と話を切り出した。天皇が一国民の請願の書面を読んだというのは興味深い。まさに、その書面の内容を心配していたからだろう。