自称教授の話を聞いてみると……
勉強会では、各農家が春先に桃の枝を切って、自称教授に送る。自称教授は芽を顕微鏡で撮影し、いくつの芽が病気に冒されているかを分析して、結果を各農家に送り返す。
「病気の芽をそれほど拡大して見たことがなかったので、私達はすっかり信じてしまいました。自称教授はある程度の知識がないと言えないような実践的な内容も話し、勉強会では皆熱心に聞いていました」と前出の農家は話す。
勉強会に参加した農家は、そうした分析をもとにして、卵の殻を使った葉面散布剤を注文したのだった。
自称教授は繰り返し産地を訪れるようになる。そして「献上桃」の話を持ち出していった。
その後は、報道されたような流れになるのだが、この地区にはAさんらが「献上桃」という言葉に反応しやすい土壌があった。
福島県内には現在、正式に桃を献上している地区がある。
福島市の隣の桑折(こおり)町だ。皇室献上は都道府県を通じて行うことになっており、桑折町では1994年に始まった。
桑折町はそのメリットをいかそうと、何かにつけて「献上桃の郷」をPRしている。桃の風評被害を払拭する戦略でもあるのだ。
町役場の前庭には「献上桃の郷」と記された石碑が建てられている。町内の目立つ場所にも「献上桃の郷」を周知する看板がある。2023年は献上開始から30周年とあって、JR桑折駅に「指定30周年 献上桃の郷 桑折町」と書かれたのぼり旗が立てられていた。
だが、桑折町で献上が始まる前は、Aさんが住む福島市北部の地区の農家が献上桃を出していた。
福島市農業振興課は「1979(昭和54)年ごろから個人の桃農家が献上していました。高齢化で難しくなり、桑折町に移ったと聞いています」と話す。
なぜ、同じ地区内で引き継がれなかったのだろう。
「桃の品質では桑折町に負けていない」
福島県園芸課は「30年も前なので資料がなく、詳しいことは分かりません。聞いている範囲では、桑折町から献上したいという働きかけがあったわけではなく、県が桑折町を選んだようです。他の地区に先駆けて光センサーを導入し、糖度を計るようになっていたのに加え、地域全体で農薬を抑えた栽培を進めていたのが選定理由のようでした」と説明する。