出稼ぎに行くフィリピン人の目的は、家族の生活を助けたい、裕福になりたいというものだが、大前提として、自分の大事な人たちが死なないように、という気持ちがある。
ただ贅沢がしたい、金が欲しいというだけではなく、幼い頃から貧しさゆえの「死」が身近にあり、大切な人達の命を守るための手段が、出稼ぎしかないのだ。
出稼ぎは時代と共に
フィリピンの家族に送金をするたびに、「いつまで続けるんだろう」と正直思うところもある。
だが、ミカはこう言う。
「あなたは日本で生まれて、本当にお金がなくて困ったことがないから貧乏の気持ちがわからない。日本だったら仕事が沢山ある。でも、フィリピンは本当に仕事がない。日本からお金送らないと、家族の生活ができない。日本もフィリピンも両方とも私の家族。どっちも大事なの」
僕は小さい頃から、食べたいものを食べ、欲しいものを買ってもらい、学校にも行くことができた。金がなくて、食べるものが無く、家族全員お腹をすかせた経験はない。体調が悪いときは病院にも行けた。
ミカが日本に来る前のフィリピンでの生活について、彼女から話は聞くが、実際にどのような生活をして、貧しい中でどれだけ悔しい思いをしたのか、正確には実感できていないだろう。
日本では今も多くの外国人が働いている。90年代にはブラジルやペルーから日系人が、やがて中国やベトナムから「技能実習生」が日本に出稼ぎに来た。コロナ禍で「技能実習生」が入国できなくなって、農業はじめ建設業など様々な分野で担い手が消えてしまい、社会問題となったことは記憶に新しい。
だが、外国人に対して「あいつらは金だけを稼ぎに来ている」「金を稼いだらすぐに帰る」等、否定的に見る人は一定数いる。
僕自身、金を送っていると、どこか自分の方が偉いと思ってしまうことがある。自分の方が稼いでいるから能力が高いと思い込みがちなのだ。だが、これはたまたま生まれた国が今、経済的に豊かだった、というだけだということもわかっている。
日本も昔は貧しかった。「唐行きさん」という言葉をもじって「ジャパゆきさん」ができたように、日本人女性が東南アジア・東アジアへ渡っていた時代もあった。戦前から戦後にかけて、ハワイや南米に移住した日本人も数多くいる。フィリピンをはじめ、東南アジアにもたくさんの日本人が移住した。日本よりもフィリピンの方が豊かだった時代もある。今は日本の方が豊かだが、それが永遠に続く保証はどこにもない。