1ページ目から読む
2/3ページ目
「ぼくに言った、あの言葉は、ぜったいに忘れない」
問題の「謝罪の会」は、中学1年の時に同じクラスだったAの発言がきっかけだった。
辰乃輔さんは中学1年のときに同じクラスのAから、クラスのテストの平均点が低いこと、体育祭で優勝できなかったことが、辰乃輔さんのせいであると言われたと訴えていた(報告書では、Aは発言を否定しているがそう受け止められる何らかの発言があったと推測できるとしている)。
辰乃輔さんの母親が最近発見したというノートには、自殺する2日前、19年9月6日付で以下のように書かれていた。
<きのう、僕は死ねなかったんで、今日、死にます。僕はもうこれ(以上)くるしみにたえられない。死ねば、らくになれるから。死ねば、いじめや先生達にうらぎられずにすむ。今度こそ、さようなら。Aのお父さんとおばあさん、ぼくに言った、あの言葉は、ぜったいに忘れない…(略)…>
「あの言葉」とはまさに、中学3年のときに学校が開いた「謝罪の会」で、Aの父親と祖母から投げかけられた「糾弾」の言葉だ。
相手生徒の父親と祖母が「謝罪の会」に出席したが…
「謝罪の会」が開かれたのは、辰乃輔さんへのいじめが続いていた中学3年の6月8日。しかし生徒Aは発言を否定し、学校は生徒Aの発言が事実かどうか確認できない状態で「謝罪の会」を開いた。
当日、辰乃輔さんは前年の飛び降り自殺未遂の影響で車椅子に乗って、母親とともに話し合いの会議室へ向かった。A側はA本人は参加せず、両親と祖母の3人で現れた。1時間以上もの話し合いは平行線に終わり、辰乃輔さんが怒りを告げて会議室の外へ出ることで打ち切られた。