「生乳生産本州一のまち」と皇族も使う“リゾートの玄関口”
ただ、西口の開発がとんと進まなかったこともあって、東口がこの町の中心であるという状況はそれからも長く続いた。いまでも那須塩原駅の東口に出ると、思った以上に人通りもクルマ通りも多い。
そして、開業時には那須の二大ターミナルといえる黒磯・西那須野駅に挟まれた地味な小駅は、それが幸いして新幹線駅となり、一気に両駅を抜き去って那須地域一帯の玄関口としての揺るがぬ地位を確立することに成功したのだ。
一貫して黒磯駅から御用邸を訪れていた皇族も、新幹線が開業した1982年の夏にはさっそく那須塩原駅を使った。以後、那須御用邸を訪れる天皇皇后両陛下や皇族は、みな那須塩原駅を使うのが常となった。
この点においても、那須塩原駅の存在感はいまや黒磯・西那須野を大きく凌ぐものになっているといっていい。新幹線開業時は黒磯市だったが、西那須野町・塩原町と合併し、まちの名前も駅名から頂いた那須塩原市になっている。
そんな歴史を踏まえて、改めて那須塩原駅の駅前広場に立つ。駅舎には、「生乳生産本州一のまち」と書かれた垂れ幕が誇らしげだ。郵便ポストが牛柄なのは、そういうわけだからなのだろう。
といっても、東京方面からの新幹線が到着したときだけたくさんの人が現れ、彼らはすぐにバスやタクシーで那須高原へと消えてゆく。駅の周りに賑やかな飲食店があるわけでも、リゾートホテルがあるわけでもない。しかし、そうした姿こそが、那須塩原駅の本質にして、あるべき姿なのだろう。リゾート地の玄関口は、必ずしも賑やかである必要は、ないのである。
写真=鼠入昌史
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