もちろん、新たに那須高原の玄関口となったターミナルだから、開発計画がなかったわけではない。ただ、区画整理事業によって土地が収用されることになる住民からの反対もあり、新幹線開業から長らく手がつけられずにいた。それがようやく本格的に動き出したのは90年前後になってから。最終的に区画整理事業が完成したのは2013年のことである。
だから、駅の周りを歩いても、駐車場はともかく空き地が目立つ、どことなく無機質な印象はまだまだ町としての歴史が浅いからなのだ。それに、少し駅前から離れれば、戸建て住宅が集中して並んでいる一角もあったりして、まったく住民がいないような無味乾燥な町とは違う。
新幹線がやってきて、90年代はじめにはこのあたりに建て売り分譲住宅が登場。新幹線を使って東京に通勤する人たちが越してきた。そのときには“東京村”などと呼ばれたこともあったという。
新幹線通勤がブームになったことで、JR東日本はわざわざ2階建て車両まで投入して新幹線の通勤ラッシュに対応している。それだけ通勤客の利用が多かったということだが、それに那須塩原駅もそこそこ貢献していた。
それから30年が経って、いまも同じように新幹線で通勤している人がどれだけいるかはわからない。ただ、まだ駅前の区画整理も行われていない時期に、わざわざこの駅前を選んで越してきた人たちがいたことは事実である。
駅の反対側にはまたずいぶんちがった光景が…
こうして駅の周りをひととおり歩き、駅前に戻ってきた。那須塩原駅が玄関となるリゾート地は、だいぶ離れた山の方。駅前の整備が終わったのもつい最近。そう考えれば、この駅は実に歴史の浅い、まだまだこれからの駅ということか。
……と思ったら、これもまた必ずしも正しくないようだ。