東大を目指す予備校生だったものの覚醒剤と出会い、ヤクザの道に進んだ末に逮捕。その後、一念発起して司法試験に挑み、弁護士になった諸橋仁智氏(46)。
そんな彼に、ヤクザになるきっかけとなった“アニキ”との出会い、覚醒剤販売で月に300万円を稼いでいたヤクザ時代、覚醒剤の深みにハマる原因になる“味見”などについて、話を聞いた。(全3回の2回目/続きを読む)
◆◆◆
雀荘で出会った、ヤクザ界に入るきっかけの“アニキ”
――東大を目指すも2浪して、成蹊大学へ。学校には馴染めましたか?
諸橋仁智(以下、諸橋) 1年生で4単位しか取れなくて、2年生になって早々に中退しました。予備校のワルい先輩がけっこう成蹊にいたんですよ。僕みたいに東大に行けなかった浪人生が。その先輩に誘われて入ったゴルフサークルは楽しかったですけどね。
――ヤクザの世界に入るきっかけとなった“アニキ”とは、大学に入ってから出会ったのでしょうか。
諸橋 成蹊に入ってすぐ。1997年、僕が20歳のときですね。僕が雀荘でバイトしていて、アニキがお客さんで、だんだんと話すようになったんですよ。
アニキは吉祥寺のヤクザで、お父さんが武蔵境の親分なんですよ。そのお父さんの“会社”ってのが、八王子を除いた中央線沿線エリアを縄張りにしていて。
で、アニキから「なにしてるんだ?」とか「飯行くか?」とか、しょっちゅう電話がくるようになって。アニキには僕がシャブをさばいていることを話していたから「なんかあったら、いつでも俺の名前を使えよ」みたいな感じで可愛がってもらっていて。そう言ってもらえると心強いですよね。
――早くにお父さんを亡くしただけに、“アニキ”から父性みたいなものを感じていたところはあったのでしょうか。
諸橋 いま考えれば、そうだったのかなと。その時は、そんなことは全然思ってなかったですけど。
とにかく、いままで出会ったことのないぐらい頼りになる人でしたね。どんなことでも、すごく親身になって話を聞いてくれたし。あと、年齢的にも僕より27歳上だったこともありますしね。
アニキとの関係がより強固になったのは、アパートで火事を出してしまったときですね。
――ボヤですか。