1974年(119分)/アジア映画社/3080円(税込)

 一九四五年八月十五日の「終戦」を境に「平和」が訪れたわけではない。外地に暮らす人々にとって、無事に日本の本土に戻れるかどうかが、また新たな困難となっていた。

 今回取り上げる『樺太1945年夏 氷雪の門』は、それを描いた傑作である。

 題材は実際の悲劇だ。それは、「終戦」にもかかわらず軍事行動を続けたソ連軍の攻撃に追いつめられた、南樺太・真岡の郵便局に勤める女性電話交換手・九名の集団自決。

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 物語は「終戦」の一週間前、八月八日から始まる。悲惨な状況下にある内地に対し、日本領の樺太はまだ平穏だった。交換手たちも、和気藹々とバレーボールしたり、合唱したり。とても戦争最末期とは思えない光景がそこにあった。

 だがその描写は、後の悲劇への残酷な伏線でしかない。

 翌九日にソ連参戦の報が入ると、一気に緊迫感を増す。郵便局は連絡のハブ的な役割を担うことになり、長閑(のどか)だった交換手たちの表情にも戦場さながらの必死さが浮かぶ。

 十一日にソ連は南樺太に本格的侵攻を開始、住み家を失った人々は避難先を求めて、あてどなく歩み続ける。行き倒れる老人。道端に捨てられた乳呑み子。頭上に現れる敵機編隊と容赦ない機銃掃射。

 地獄絵図の如き苦境が、次々と映し出されていく。だが、ここはまだ全体の半分、「戦中」だ。玉音放送が流れ「戦後」となってからが、本当の地獄だった。戦争が終わってもなお、ソ連は侵攻を止めようとしない。それどころか、進軍停止を求める参謀長(丹波哲郎)は「負けた国に国際法はない」と突っぱねられ、白旗を揚げて降伏の意志を伝える副官は銃殺される。

 そして八月二十日、ソ連艦隊は真岡へ。霧の中から現れる無数のソ連艦船の不気味さ。必死に逃げ惑う人々を虐殺するソ連兵。艦砲射撃により爆煙をあげる街並。戦争映画の名手・村山三男監督だけあり、映像の迫力も強烈だ。その描写のもたらす恐怖感と絶望感が、日本側の無力さだけでなく、自分たちがいなくなれば、樺太中の電話が混乱する――と、責任感から残留する交換手たちの気高さを際立たせていた。彼女たちは、班長(二木てるみ)の冷静な指揮の下、最期まで真岡の危機、避難の呼び掛けを続ける。

 だが、ソ連の止まぬ攻撃が間近に迫り、退路もない中、彼女たちは自決を選ぶしかなかった。班長と電話を続ける郵便局長(久米明)の「生きるんだよ!」という必死の叫びも、空しく響くのみ――。

 かなりの力作なのだが、初公開時は満足な上映ができなかった。それだけに、是非この機会に、彼女たちの生きざまを最後まで見届けてほしい。