一九六〇年代から七〇年代にかけては、安保闘争との距離感が若者にとっての重要なテーマになっていた。
そのため、この時期に作られた青春映画も、多くがその影響を受けた内容になっている。そして、作品の舞台として米軍基地の周辺が使われることが少なくなかった。
今回取り上げる『俺たちの荒野』も、そんな一本だ。
横田基地が設けられた東京西郊を舞台に、若者たちの青春が描かれる。冒頭から、飛び立つ戦闘機の轟音が鳴り響き、自動車道路の脇には基地のバリケード。背景のそこかしこに米軍の存在を意識させられる、「基地の街」としての風景が広がる。
主人公は、集団就職で地方から出てきた二人の若者。兄貴分の哲也(黒沢年男)は米国移住を夢見ながら、日中は米軍基地で運転手、夜は米兵相手のバーでバーテンダーとして稼ぐ。沖縄出身で米兵に縁のある弟分の純(東山敬司)は自動車修理工場で働いていた。楽しみといえば、空いた時間にオートバイで滑走することだけの、無為な日々を送っていた。やがて二人は、基地の近くに広がる荒れ地を購入することを目指す。
そして、荒野で謎の女性・由希(酒井和歌子)と出会う。彼女は米兵の夫人を相手にした美容院に勤めているが、店を営む姉は米兵の愛人「オンリー」だった。
物語の前半は、題名通り「俺たちの荒野」ではしゃぎ回る三人の若者の姿が映し出される。枯草と土くれ、そして朽ちた鉄塔しかないのだが、彼らにとってそこは「天国」。殺風景な荒れ地が煌めくように映し出されていた。
基地の街が舞台で、三人の主人公もそれぞれに米兵に因縁がある。だが、そのことは物語の展開に直接的には大きく影響していない。基地があり、米兵がいる。そのことが当然の日常としてそこにあり、彼らもまたそれを当然のこととして受け入れているのだ。
公開されたのは、東大安田講堂事件など、安保闘争に関連した学生運動が激化した一九六九年だ。そのことを踏まえると、安保闘争など関係なく過ぎていく青春群像をあえて描こうとする、作り手側の意図が浮かび上がってくる。
ただ、学生運動がそうであったように、彼らの「天国」もまた、大きな成果のないまま内部から崩壊してしまう。
その中心にいるのが、由希。彼女をめぐるそれぞれの感情が、複雑な愛憎の絡み合う状況を生み出すのだ。そして、全ては破滅へと向かっていく。
絶えず凜とした魅力を放ち続ける酒井和歌子が、当人にその意図はなくとも周囲の人間を惑わす由希の天性の魔性ぶりに説得力を与えていた。