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ホストクラブで働くには2つの道がある

 ホストクラブで働くには、大きく分けて2つの道がある。1つが、ホストの求人サイトなどから自分で応募してなる方法。2つ目が、スカウト会社(ホストの求人サイトを経営している場合もある)を通して、店を紹介してもらう方法だ。後者は、入店の際の紹介料に加えて、ホストが稼ぐ額によってマージンがスカウト会社に入る仕組みになっている。

「ここ数年、ホストは売り手市場ですね。店がどんどん増えているので、どこもお客さんを集められる人気ホストがほしくてたまらない。表向きは禁止ですが、ヘッドハンティングみたいなことが行われたり、美容整形手術代を出すという約束をして口説いたり、様々な方法で募集が行われています」

 

 近年は、ホストも美容整形をする傾向にあるという。

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 たしかに歌舞伎町に立てられているホストクラブの看板を見ると、みんな同じような顔であるように見えなくもない。涙袋をつくり、鼻を高くして、顎を削って……。流行に応じて手術をするので、どうしても似通った顔になるのだ。ホストクラブはここに目をつけて、求人広告に「美容整形の代金を出します」などと明記しているわけだ。

 同じことはキャバクラやクラブでも行われているので、美容整形自体はさして珍しいことではない。ただ、興味深いのは、こうしてつくり出された「ホストの顔」や「ホストのファッション」が、そのまま歌舞伎町のファッションとして世の中に広まっている点だ。

「一般的にかっこいいかどうかは別にして、これは歌舞伎町特有のファッションなんです。渋谷にも六本木にもない。歌舞伎町発のファッション。だから、僕としては歌舞伎町で働きながら、ちょっと距離をおいてそれを見ることも大切だと思っています。歌舞伎町が特有なぶん、傍から見るとエスカレートしてダサくなっているっていうこともありえますから」

 

 オーナーとしては少し離れたところから、歌舞伎町を見ていたいという気持ちがあるのだろう。

2000年を過ぎた頃、ホストクラブに変化が

 そもそも、歌舞伎町でホストクラブはどのように成長してきたのだろう。

 手塚は90年代の半ばから後半にかけて中央大学を中退し、ホストの道を本格的に進みはじめた。

 当時、歌舞伎町は暴力団の力が強く、ホストクラブもその影響下にあったという。店が脱税をしたり、届け出をしなかったりするのはもちろん、新規店舗を出すことさえ暴力団の許可なしにはできなかった。もし認められて出店できたとしても、それなりの金銭を支払う必要があった。

 

 ホストクラブとしても、女性に対して犯罪に近い形で金銭の支払いを求めることもあった。弱い者たちが、弱い者たちを食らう。アンダーグラウンドな世界で、そんな捕食の論理がくり広げられていたのである。そのぶん、男も女も、見る夢は大きかったけれど。

 こうした状況が少しずつ変わったのは、暴対法の効果が出はじめた2000年を過ぎた頃からだった。暴力団が警察の締め付けを受け、大手をふって町を歩けなくなったことによって、影響が徐々に弱まりだした。

 2004年に石原慎太郎都知事(当時)が行った歌舞伎町浄化作戦も大きかっただろう。店舗型の風俗店が次々とつぶされ、暴力団の息のかかった店が閉鎖へと追い込まれた。