会員の人たちも、ドレッドを揺らしながらラケットを振ってる僕を警戒してたんですよ。土砂降りの日でも、外でサーブを打ってるし。テニスって、雨が降ったらやらないんですよ。滑って危ないから。それでもブンブンやってるから「ちょっとおかしいけど、本気ではあるんだ」と思ってくれたようで、市民大会や県大会で優勝してる会員の方が練習の相手をしてくれるようにもなったんですよ。
テニスアカデミーに移ったが、小・中学生の相手にならず
ーーテニスクラブにはどれくらい通ったのですか。
市川 1年ぐらいですね。とりあえず基礎はできただろうと思って、アカデミーに移りました。ランキングに入ってないと大手のアカデミーは入れてくれないから、ウェブサイトで「やる気があるヤツなら来てもいいよ」的なことをうたっているところに入ったんです。技術を育ててくれるアカデミーとして定評もあったので、なおさらいいかなって。
入って5分で、1年やってきたことに意味がなかったと悟りましたね。小学生、中学生のジュニアの子たちと打ち合ったけど、彼らはプロを目指してやってきてるので、僕なんかちっとも相手にならないんです。
初日のトレーニングでやる気だけは示そうと思って、ダッシュしまくってたら吐いちゃって。それでも、そこのヘッドコーチが「がんばってる感じは、ジュニアのいい見本になる」と入ることを許してくれました。
毎日怒鳴られていた日々のモチベーションになったのは…
ーーそこで技術をいろいろと学べた。
市川 そのヘッドコーチがすさまじく厳しくて、できるようにならない者にボロクソ言うんです。2球ぐらいミスったら「おまえ、全然できねえから、そこ立ってろ」と言われて、コーチが気に入ってるジュニアの選手が練習しているのをずーっと見学させられたり、延々と走らされたりして。
僕は25歳でテニスを始めたからどんくさいし、センスもなかったし。頭では「こうしたらいい」と理解できるんですけど、体でそれができないんですね。
「ジュニアの見本になる」なんて言われたけど、ジュニアたちの前で「こいつみたいには絶対なるな」と毎日怒鳴られるようになって。5年くらいアカデミーにいたけど、その5年間は毎日心がボロボロで、地獄を見ました。
ーーよく5年もいられましたね。
市川 自分でも「俺、これ、人生間違ったわ」とは思いました。大変な道だとはわかっていて始めたけど、「俺って、ここまでできないのか」「テニスって、ここまでキツいのか」って。客観的に見ても全然運動センスがなく、本当にできるようになりませんでした。
更に技術面もですが、とにかくコーチの指導が精神的に辛くて、毎日やめたいどころか死にたいと思っていました。でも、自分で覚悟して始めた道だとなんとか耐えて、コーチのいないところで誰よりも練習しようと、早出練習、居残り練習を続けました。
今思えば、違う練習場所を探しても良かったと思いますが、当時は下手な僕が他に行ける場所はないと感じていて。追い詰められてる人の発想ですね。