開成中学・高校から東大に進んで現代音楽家を目指すも、25歳で経験のなかったテニスの世界へ飛び込み、ヨーロッパを拠点に活動するテニス選手・市川誠一郎(39)。

 今年5月にダブルス世界ランキングで2090位になった彼に、日本を飛び出した理由、海外での活動資金を得るためのスポンサー探し、世界ランカーたちに練習相手を務めさせてしまう術などについて、話を聞いた。(全3回の3回目/最初から読む)

市川誠一郎さん

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一刻も早くヨーロッパのどこかに行きたかった

ーーテニスを始めた当初から、海外を拠点にすることを考えていたとのことですが、海外のほうがテニスをめぐる環境が優れていると感じていたわけですか?

市川誠一郎(以下、市川) やはり日本国内に世界のトッププロは非常に少ないですし、日本のトップになっている大坂なおみちゃんと錦織圭君は実質アメリカ育ち。テニスはヨーロッパで生まれたスポーツで、ヨーロッパが中心です。

 イタリア料理を本気で勉強したかったら、イタリアに行くじゃないですか。そこは僕が音楽をやっていたときに、レゲエを探求するためにジャマイカに行ったりしたのと同じ理屈だと思うんです。

 テニス界の地図があったとして、僕はそれに載っているかどうかもわからない、ちいさなテニスアカデミーにいたんですよ。大海原を知らずに、ラケットを振っていた。それを自分でわかっていたからこそ、一刻も早くヨーロッパのどこかに行きたかったんだけど、お金がないじゃないですか。

 

“開成、東大、25歳からテニス始めました”をウリにスポンサー探し

ーーそこで、スポンサーを募った。

市川 東京オリンピックのトライアウトでスポンサーがついたことが自信になったのもあって、スポンサー集めに踏み切って。人からお金をもらいに行くっていうのもアレだし、金額も何百万になるので「こんなの集まるわけなくね?」と思ったけど、とにかくやるしかないなって。

 2015年の年末と2016年の正月休みを使って、じっくり考えました。「スポンサーを集めるためには、どうすればいいのか?」ってのをノートにバーッと書いて整理して、スポンサー募集の案内文を書いて。

ーー友人や知人にも支援をお願いしましたか。

市川 知ってる人すべてに頭を下げました。背に腹は代えられないし、カッコつけてる場合じゃないなって。

 だから“開成、東大、25歳からテニス始めました”を、全面的にウリにしました。それまでは、そんなこと言うのは好きじゃなかったんですよ。僕がウリにできるのはそこしかないし、それがなかったら単なるヘタクソなテニス選手なだけですから。