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市川 自分がやっていることに価値があるのか、いいものが作れているのか、すべてがわからないみたいな。さらにパリに行ったとしたら、それなりにお金もかかるし、そのお金を自分で稼がなきゃいけない。「覚悟はあるのか」とビビってしまったのもあったんですね。

「白黒ハッキリしない世界で、ゴチャゴチャ言ってるくらいなら、受験のときみたいに白黒ハッキリする世界に行ったほうがいいじゃん」って考えるようになって。でも「大人の世界で、そんな白黒つけられる場所ってある?」と悩みました。

スポーツの世界に足を踏み入れることを決意

ーー白黒ハッキリできそうと思えたものが、テニスだったと。

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市川 勝つか負けるかに加えて、コネとか関係なし、一生懸命やればやるほど結果が出せる、人間関係を気にしなくていい、とか考えまくっていたら「それって、競技スポーツの世界じゃない?」とハッとして、さらに「競技でも個人競技だ」って。

 白黒つけるにしても競争相手がたくさんいなければ、結局はぬるくなっちゃう。だからあえて一番メジャーでハードな競技にしようって。メジャーだと、勝てば勝つだけ注目されますから。そういった扱いの明暗でも白黒つきますし。

 実際に、いろいろなスポーツを試したんですよ。個人競技じゃなくなっちゃうけど、結構な野球少年だったので野球も考えたんです。でも、すでにその時点で24歳でした。たとえ、採用してもらえそうなことがあっても、僕より若くて同じ能力の人がいたら、チーム競技では若い選手が選ばたりするわけで、僕が求めていた純粋な能力だけの世界ではないなと。

「誰かに迷惑を掛けなきゃいいんじゃない」

ーー野球少年だったゆえに「やるなら球技」、そこから「個人の球技ならテニス」といった具合に?

市川 個人競技というのが先にあって、その中で「テニスと野球って近いな」ってのが、インスピレーションとしてはあった。やはり、打つことが好きだったので。

 ボールを使うのはもちろん、ボールを打つという動作も野球と似てるし。それもあって「テニス、いいかもしれないな」と思ってやってみたら、「これだ!」ってドンピシャで。

ーーパリ留学に尽力してくれた恩師の野口実先生は、テニスへの転向にどんな反応を。

市川 「君はそこからトッププロを目指すんだよね」と聞かれて、「それで飯を食えるぐらいにはなるかもしれないけど、いまからイチローみたいになろうってのは無理だろう」と、かなり呆れていたと思います。でも、今思うと当時他の人は全員、僕がテニスプロを目指すことを悪い冗談くらいにしか受け止めなかったのに、先生だけは唯一、僕が本気でトッププロを目指していると受け止めてくれていたかもしれません。

 ブチ切れてもおかしくないわけで、なんとか呆れる程度の態度で接してくれました。最終的には「誰かに迷惑を掛けなきゃいいんじゃない」と、背中を押してくれて。いまでも先生とは連絡を取っていて、日本に戻るとお会いしています。