「OSO18特別対策班」リーダーの反応
第一報の後、私は「OSO18特別対策班」リーダーの藤本にメールを入れた。折悪しく藤本は釧路市の病院で悪性リンパ腫と戦っている最中で、さすがに深夜、電話をかけるのははばかられたためだ。この時点ではまだ当該クマがOSOだという確証はなかったが、翌朝、藤本から細切れの返信があった。
〈どうやらオソで間違いないようです〉〈呆気ない幕切れです〉〈こんなものでしょう 笑〉〈どんな形でも獲れればいいんです! 農家の方が安心するのが一番です〉……対策班リーダーとして昨年から本格的にOSOを追い始め、ようやく「今年の夏には」と手ごたえを感じていただけに、複雑な思いはあるはずだが、藤本の言う通り、既に数千万円単位の被害を受けている酪農業関係者のことを考えれば、どんなエンディングであっても歓迎すべきなのは確かだ。
「もちろんこれだけ長い時間と労力をかけて追ってきたので、私たちが捕獲できなかったのは残念な気持ちはあります。ただこれですべてが終わったわけではないですし、まだまだ検証し、今後の対策を講じていく必要があるのです」(藤本)
もっとも彼らがOSOの駆除を許可されているのは被害が集中していた標茶町と厚岸町に限られており、釧路町はそもそも駆除の許可外ではあった。一方で、当初藤本が指定していたOSOの探索区域に今回の捕獲場所は、しっかりと示されてもいた。
今回OSOが現れた釧路町は、標茶町と厚岸町からは釧路湿原を挟んで直線距離で40キロから50キロ、南に下ったところにある。オスのヒグマは一日に10数キロ移動することもあるので、行動範囲内ではあるが、釧路町のハンターが目の前のヒグマとOSOを結びつけられないのも無理はないほどには離れている。
なぜOSOはこれまでの「狩場」を捨てたのだろうか。その理由は今年に入ってから藤本らが追ってきたOSOの動きを時系列で整理するとうっすらと見えてくる。