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 いかりの鎖は片両側とも鎖12本を連結しており、1本ずつを「シャックル」と呼ぶ。また、使っていたのは粉炭だった。猛烈な風のため、状況が悪い方へ悪い方へと向かい、最悪の事態に至ったことが分かる。

 船長はじめ乗組員は、これほどの大事故になると思えば、最初から客は乗せない。私も不安な感じは全然なかった。ところが、海上に出たら最大風速は57メートルにまで達する強さだった。楽な航海ではないが、青森には行き着けると思っていた。

 船員というものは一か八かの冒険はやらないものだ。

 15号も予報には東の海上に出るというような話もあって、大丈夫だろうという見通しだった。原因としては、後部貨車甲板から追い波が入り、傾いた右の船端に汚水が相当たまって傾斜を増加させたためか、貨車が先に傾いて船を倒したのかは分からない。結果論としては、台風に対する見通しが甘かったともいえるだろうが……。

 毎日の記事は「警報は知っていた」の見出し。事故原因について「船長が暴風雨警報を無視して船を出した」ともいわれていることについて聞かれ、阿部二等運転士はこう答えている。

「船の出港などは船長の権限だが、26日午後6時前後の時は暴風雨もやみ、青空が出るほどの好天気になったので、警報は知っていたと思うが、前の12号台風の無被害という前歴、また、これほどの暴風雨になるとは思わず、30年来の経験から出港したのではないかと想像される」

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二等航海士は「台風をアマく見た」と語った(朝日)

「とても人力でどうこうできる風ではなく、不可抗力の天災という以外にないのではないか」

 この日の紙面で朝日と毎日は、原因について専門家の談話や座談会を掲載している。要点をまとめるとこうなる(肩書は当時)。

▽朝日

 

加藤弘・東大教授(船舶工学) 青函連絡の船には貨車を積み込むという特殊な任務があるので、甲板がごく水面に近く、低く造られているので、シケて揺れるとすぐ波をかぶる。おまけに頭デッカチなので、風を受けるとすぐ押し流されたり傾いたりしやすく、満載の状態だと、傾いた場合に元に戻る力(復元力)がごく小さい。今度の場合、予報を無視して多少無理押しした感じがする。

 

高田正夫・日本船長協会会長 航海する際、当然問題になるのが天候。洞爺丸の場合も、北海道の測候所や中央気象台の発表を基にして出港したのだろうが、果たして気象台がどんな情報を提供したかは調査する必要がある。停泊中シケになった場合は、港外に出る必要があるので、洞爺丸のとった措置は正しい。結局、不可抗力な遭難ではなかろうか。

▽毎日

 

須田皖次・海上保安庁水路部長 近藤船長はベテランで津軽海峡の気象変化を熟知しており、決して判断を誤るような男ではない。台風があれほど異常に発達すると予想できなかったことが誤算の原因。生存者も死者もほとんど救命胴衣を着けていたというのは、船長ができるだけの手を打ち尽くしたことを物語っている。 

 

斎藤浄元・元高等海難審判所長官 大切なことは、洞爺丸以外にも4隻が同時に遭難、沈没している事実。事故は不可抗力だったとも想像される。船に関しては船長に一切の責任がある。船長は気象台の報告を前提にいろいろ判断するが、悪い結果が起こっても船長の判断が悪かったとは必ずしもいえない。

 

大宅新次・元日本郵船取締役 風速53メートルといえば、とても人力でどうこうできる風ではなく、不可抗力の天災という以外にないのではないか。今度の場合、普通の台風が日本海を抜けるころには弱まるのに、北海道に近づくに従って発達していったことが大きな原因。

 

住田正一・海事評論家 事故原因はイカリが小さすぎたことだといえる。もう一つ考えられるのは、船の頭が重くなったため安定を失い、復元力がなくなっていたこと。あの暴風の中を港外に出たことは過失といえよう。