「酒所」に挟まれた絶妙な立地、青々とした田んぼ…一帯が「東広島」になるまで
ちなみに、駅前の通りを少し西に歩くと、「安芸津分かれ」という十字路に出る。この十字路を左に曲がって南に行くと、山を越えた先に安芸津という瀬戸内海沿いの町がある。この町は、酒造りで有名なのだという。東広島駅のある西条盆地にも、西条という日本三大銘醸地のひとつがある。
というか、むしろ東広島駅や広島大学周辺よりも、盆地北部の西条の町のほうがこの地域の中心市街地だ。古くは西国街道の宿場町で、いまは山陽本線の西条駅がある。駅のすぐ近くに蔵造りの酒蔵が建ち並ぶ、ちょっとした観光名所になっている。つまり、西条と安芸津というふたつの酒所が、間に東広島駅の町を挟んで結ばれているというわけだ。そういう意味でも、東広島駅はなかなか絶妙な場所に位置している。
などといっても、基本的に東広島駅の周りには何もない。学園都市の広島大学にしても、確かに東広島駅は最寄り駅のひとつではあるが、在来線の西条駅からもバスが出ていてそちらのほうが利用する人は多いだろう。また、駅前の町の規模も小さく、出入り口はその町がある南側にひとつだけ。出入り口のない北側に出てみると、これがまったくの田園地帯であった。
新幹線の線路の際まで青々とした真夏の田んぼが広がり、その間にポツンポツンと赤い瓦の家々が見える。遠くには盆地の縁の山並みも。田んぼの真ん中には、新幹線車窓でおなじみ、赤字に“727”の広告看板も立っている。この場所ならば、駅に停まっている列車の中からもよく見えるから、広告効果も悪くなさそうだ。
この田園地帯の中には、三永水源地という池がある。呉市内の水源確保のために1938年に着工、1943年に完成したいわば小さなダムのようなものだ。水源地が建設されていた時代はまさに戦時中。きっと、呉が軍港として極めて重要な位置づけにあったから設けられたのだろう。
駅も水源地も出来る前の古い地図を見ると、東広島駅一帯には何もなかったことがわかる。下三永村の一部で、安芸津方面に通じる道は昔からあったようだが、ほかはほんとうに何もない。「新開」という地名が地図にあるが、これはきっと新しく開かれた田園地帯という意味なのではないか。駅の近くには水源地の他にもいくつかの池があり、神社もある。そういうごく小さな集落が、東広島駅一帯の発祥なのである。