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 原発から60kmほど離れた伊達市は、原発から20km圏に政府が設定した避難指示区域や、30km圏の屋内退避指示区域に入らなかったが、局所的に放射線量が高くなる「ホットスポット」が確認され、政府の避難指示が出された家もあった。

 桃にとって不幸中の幸いだったのは、落葉樹だったことだ。放射性物質がプルーム(放射性雲)となって通過したのは葉が出る前だった。このため、樹体内に取り込まれた放射性物質は、ユズなどの常緑樹より少なかったと見られる。

 そうした理由もあったのだろう。福島県内の桃はこれまで一度も放射能の基準値を超えていない。

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 原発事故が起きた直後、福島には支援の手が数多く差し延べられた。

しかし競りでは敬遠され、贈答品として贈ると……

 JAの菅野係長が振り返る。「伊達地区の桃の出荷時期は、例年7月から9月にかけてです。『被災地を応援しよう』と、最初は多くの人が買ってくれました。あの年は果実の生育がよく、美味しい桃でした。ところが、少しして福島県産の牛肉から基準値を超える放射能が検出されました。原因は餌として与えた稲わらの放射能汚染です。風向きは一気に変わりました。消費者の買い控えが始まり、福島県産品を取り扱わない店まで出たのです。桃の風評被害は主力品種の『あかつき』の出荷時期を直撃する形で始まりました」

 福島の桃農家はJAへの出荷だけでなく、個人で注文販売を受けている人が多かった。それだけファンが多かったのである。しかし、各農家への注文は激減した。贈答品として送られた先から「嫌がらせか」という激怒の電話と共に返送される桃もあった。直販での販売先を失った桃は、JAの共同選果場に出荷された。

出荷へ。ずらり並べられた桃の段ボール箱(JAふくしま未来、伊達地区の共同選果場)

 伊達地区では例年、1日に7万ケース(5kg入り)も搬入されれば多い方だったが、搬入量が10万ケースにも及ぶ日が続いた。「夜までに箱詰め作業が終わらず、明け方まで選果場を稼働させました」と菅野係長は話す。

 これら箱詰めされた桃は、東京など各地の市場へ出荷された。が、競りでは敬遠された。市場で大量に積まれたままになることもあった。その有り様を目にした農家の一人は「福島の桃は終わりだと思った」と話す。

 市場に山積みされた「売れない桃」はどうなったのか。「廃棄するにも費用が掛かるので、『タダ同然』の値段で引き取ってもらう場合もありました」と菅野係長は悲しげに語る。「最終的に生産地表示の必要がない外食産業などで消費された」と話す人もいる。これこそ風評被害の本質を物語る事例だろう。

 この年、東京都中央卸売市場で取り引きされた桃(7~9月)は、福島県産が全国平均より42.8%も安かった。