JAの菅野係長は「以前は高校生のアルバイトが活躍していました。真面目でパワーもあるので、大きな戦力になっていたのです。しかし、少子化で人数が減りました。涼しくて楽なアルバイト先も増えました。高齢化した従業員もフル稼働していますが、あまりに暑くて熱中症になる人が出るほどです」と苦しげに語る。
高齢化が進んでいるのは選果場だけではない。生産者自体が高齢化し、「桃農家の平均年齢は70歳ぐらい」と菅野係長は見ている。
風評被害の影響もあって、伊達地区の桃農家は被災前の約1300人が約1100人に減った。果樹を伐採して切り株だけになった廃園も目立つ。
「あと10年もしたら、熟練の桃農家は本当に少なくなります。選果場で神業のように傷を見分ける従業員も減るでしょう。今のように桃が簡単に食べられる時代がいつまで続きますかね」。選果場で作業をしていた60代半ばの男性が「日頃から感じている」という危惧を口にする。
福島の桃産地が直面しているのは、風評被害だけではない。もはや暗い未来しかないのか。
選果場でそんな話を聞いていた時、見るからに若い農家が出荷に来た。軽トラックから桃を下ろし終えたところで声を掛けてみる。「今年、就農したばかりなんですよ!」と快活な声が返ってきた。
2ヘクタールの桃畑で栽培を始めたばかりの鈴木星矢さん(27)だった。伊達地区では最も若い桃の農園主である。
鈴木さんは桃農家に生まれた。だが、桃を栽培していたのは79歳の祖父だ。父母は働きに出て農業を継がず、鈴木さんも農家になるつもりはなかった。
プロサッカー選手になりたかった。
最年少の鈴木さんはなぜ桃農家を継いだのか
県外の大学に進学し、サッカーに明け暮れた。卒業後も営業の仕事をしながらプロを目指した。ただ、なかなか夢は叶わなかった。「こうして自分の人生は終わっていくのか」と考えることもあった。
そうした時に帰省して、桃畑で働く祖父を見た。
「かっこいいなと感動しました。家でお酒を飲んでいる時の顔とは全く違います。腕は6本ぐらいあるのではないかと思うぐらい手際がいい。それまでは、くそ暑い中で、土まみれになる農作業なんてやりたくない。蚊に刺されるのも嫌だし、と思っていましたが、跡を継ぎたいという気持ちがふつふつとわき上がりました」
帰郷して最初の年は同級生の父の桃畑で修業させてもらった。翌年は祖父の畑で習った内容をおさらいした。そしているうちに「1人では無理だけど、人を雇えば自分にも農園経営ができるのではないか」と考えるようになった。