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「今思えばAV業界はカネでできた帝国だったのかもしれない」…“消えた監督”望月六郎(66)が振り返る90年代のアダルト産業《ピンク映画は愛の共和国》

望月六郎インタビュー#1

2023/09/16
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 最初のころは本番もほとんどなかったですよ。ちょっとたってからですね、本番を平気でやる子が出てきたのは。二流の子のなかにはいたかもしれないけど、一流の子はフェラチオがオーケーでも本番はダメみたいな。不思議な子がいてね、本番はNGだけど挿入する瞬間の「あーん」というお芝居ができないから、挿入はしてくださいって。で、そのあとはこするだけにしてくださいって言ってきて、ほとんど本番と同じじゃないかと思いましたけど。

 結局、ビデ倫(日本ビデオ倫理協会)が途中から機能しなくなって、モザイクがどんどん細かくなっていったから、「入ってねえじゃねえか!」ってバレるようになったんです。俺が撮ってたころはモザイクがデカかったし、入ってなくてもわからなかった。撮りはじめてから2、3年して、売れてる子もみんな本番をやるようになっていったと思います。

撮影 細田忠/文藝春秋

村西さんみたいに脱いで自分でヤるという発想はなかった

――当時のAV業界というと村西とおるさんが一世を風靡していたはずです。ただ望月さんは村西さんが撮るようなAVは撮りたくなかったそうですね。

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望月 別に批判するんじゃなくて、自分で脱いで自分でやるっていう発想が自分にはなかったし、ジャパンホームビデオ系は映画に関係していた人が多かったんですよ。社長の升水さんはもとは日活の美術部だったかな、そこから日本ビデオ映像という最初期のビデオメーカーを立ち上げた人だったし。

 もちろんエロシーンもいろいろ工夫して、「フラッシュバック」とか「逆ソープ天国」とか、そういうAVシリーズも考えたりしたけど、「この人は映画も撮ってたから」って言われると女の子が気分よくなるっていうかね。俺に求められてたのは、60分の作品なら30分くらいお芝居して、3、4回エッチなシーンを撮るみたいなことだったと思います。

 ただ単にエロを撮るだけなら、さっき言ったような金額はもらえなかったはずだし、メーカーごとの特色というのがありましたよね。村西さんのダイヤモンド映像みたいに、とにかくやるだけのビデオを低価格でバンバン売るところもあれば、宇宙企画は写真集のノリなんです。イメージビデオっぽく、可愛く撮って、それに絡みが付いてるみたいな。一方でジャパンホームビデオやビップ、芳友舎みたいにストーリーを欲しがるところもありましたから。

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