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35年前、ある歌舞伎ファンが推し活を“卒業”した理由 「鶴屋南北作品を孝玉でみたい」と熱い要望を…

35年前、ある歌舞伎ファンが推し活を“卒業”した理由 「鶴屋南北作品を孝玉でみたい」と熱い要望を…

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 近年、広がりを見せる「推し活」。4月24日から8月6日まで、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館(以下、エンパク)にて開催された「2023年度春季企画展 推し活!展―エンパクコレクションからみる推し文化」は、2万人以上の来館者が訪れ、話題となった。

 実は「推し活」の歴史は長く、日本でも600年以上前の室町時代から行われていた。展示を企画した演劇博物館助教の赤井紀美さんと、歌舞伎学会会長で、九代目エンパク館長の児玉竜一さんに、「推し」の歴史を聞いた。『週刊文春WOMAN2023秋号』より、一部を抜粋して紹介する。

「推し活!展」のチラシ

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ブロマイドやスクラップブックなど、約150点の資料を展示

──「推し活!展」では、「推し活」に関する資料を「集める」「共有する」「捧げる」「支える」の4つに区分して紹介しました。

赤井 演者や作り手を対象としていた今までのエンパクの展示から発想を転換して、「推す側」である観客に焦点をあてたことで、展示する機会がなかった作品に光をあてることができました。

 ブロマイドやスクラップブック、チラシや消しゴムハンコまで、約150点の資料を展示しましたが、とりわけ、多くの反響があったのは錦絵(浮世絵)、なかでも「死絵(しにえ)」でした。「死絵」は、人気役者が亡くなった際に、現代の新聞の号外のような形で出版された浮世絵で、江戸後期から幕末にかけて多く出版されました。私たち研究者にとっては珍しいものではないので、反響が大きかったことに驚きました。

八代目市川團十郎の死絵

死絵の数で推す側の熱狂がよくわかる

児玉 死という重いテーマが題材ですが、枕元に飾って涙するためのものではなく、意外にユーモアにあふれた明るい絵が多いのが特徴です。今回展示した八代目市川團十郎の「死絵」は、天に昇って死出の旅路に出ようとする團十郎を、多くのファンの女性や、猫までもが地上で声を上げて引き留めています。

 八代目團十郎は、美貌を持ち人気のある役者でしたが、嘉永七(1854)年に32歳の若さで自死します。死絵の中では、團十郎をさらう風には「むぢやう(無常)の風」という文字が添えられている漫画のようなコミカルさもあり、江戸の風刺性が垣間見える資料です。いまだと、テレビで追悼番組が放送されるイメージですね。

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