ここのところ、東大合格者数ランキングの1位は開成高校(東京都)の指定席となっています。しかし、あらゆる大学、学部でもっとも難関とされる東大理科Ⅲ類(医学部医学科に進学するコース)の合格者数では、灘高校(兵庫県)がずっと1位を独占してきました。灘は京大医学部の合格者数でもトップです。それによって受験界で「最強高校」の名誉を手にしてきました。
医学界に君臨する「旧七帝大」
なぜ受験エリートの人たちが東大理Ⅲや京大医学部を狙うのでしょうか。それはこれらの大学が最難関であるだけでなく、医学・医療界でも頂点に立っており、「エリート医師」の道が約束されると思っているからではないでしょうか。
確かに、医学部には歴史的な成り立ちに基づいたヒエラルキー(序列)があります。その頂点に立つのが、明治から昭和初期にかけて「帝国大学」と称された、東京大学を筆頭とする「旧七帝大(東京、京都、九州、東北、北海道、大阪、名古屋)」です。これら旧七帝大は事実上、医学研究者や教育者、学会リーダーの育成機関としての役割を担ってきました。
実際、これらの大学は母校だけでなく他大学にも多くの医学部教授を送り出してきました。伝統ある各医学会でも理事長など枢要な地位に就くだけでなく、全国的に有名な病院の院長や部長職を占めることで、明治以来日本の医学・医療界に君臨し続けてきたのです。
慶応、慈恵、日本医科の「私立御三家」
一方、研究至上主義が支配した帝大に対して、臨床医の育成を目的に設立されたのが慶應義塾大学、東京慈恵会医科大学、日本医科大学のいわゆる「私立御三家」です。とくに東大出身ながら母校の教授と折り合いの悪かった世界的な細菌学者・北里柴三郎を初代の医学部長・病院長として大正6年に設立された慶應大学医学部は、現在でも何かと東大に対抗意識を持っています。これらの大学は、多くの優れた臨床医を育成してきました。
次に、大正期の大学令公布にともない、戦前に旧制医学専門学校から医科大学に昇格した「旧制医科大学」があります。このうち、千葉大、金沢大、新潟大、岡山大、長崎大、熊本大は「旧六(旧六医大)」と呼ばれ、各地の基幹病院を関連病院にして地域で影響力を持ってきました。
戦後に新制大学に昇格した「旧医専」グループ
その次に来るのが、旧医学専門学校から戦後に新制大学に昇格した「旧医専」です。第二次世界大戦中に医師を増やすために設立された国公立の医学専門学校や、古い歴史がある私立の医学専門学校、女子医専などがこれにあたります。国公立は弘前大学、横浜市立大学、信州大学など19校、私立では岩手医科大学、東京女子医大、大阪医科大学、久留米大学(福岡)などです。
旧医専の特徴は、とくに私立大学で開業医になる人が多いことです。久留米大学卒業の医師によると、「地方では定年を迎えるとポスト(働き口)がないので、同級生の間では賢い人ほど早く開業する」と話していました。