「一県一医大構想」のもと70年代に新設された大学
さらに、このピラミッド型のヒエラルキーの最下層に来るのが、田中角栄内閣が1973(昭和48)年に掲げた「一県一医大構想」のもと、70年代に新設された国公立大学や私立大学です。国立大学では旭川医大、山梨医大(現・山梨大学医学部)、筑波大学、琉球大学など17校がこれにあたります。また私立では、杏林大学、帝京大学、聖マリアンナ医科大学、川崎医科大学など16校あります。
新設医大が設立されたのは医療の地域格差を解消するのが目的ですが、私立大学では開業医の跡継ぎを育成するという裏の目的もありました。そのため、かつては「A君は500万円、B君は1000万円」といった具合に、入試の点数が低くても、その分を補う額の入学金を積めば合格できる「金権入試」の実態もあったと聞きます。
新設私大出身でも努力すれば医学界で出世の道は開けますが、卒業者の多くは教授のような「偉い先生」になろうとは、端(はな)から思っていないのではないでしょうか。このように、どの大学に入ったかによって、ある程度自分の将来が見えるのも医学部の特質なのです。
東大OBが医学部教授になれなくなってきている
しかし、近年、こうした医学部のヒエラルキー構造は弱体化し、意味のないものになりつつあります。
まず、ここ数年、東大OBが医学部教授になれなくなってきています。たとえば筑波大学は、開学から7年しか経っていない1980年当時、教授陣の半数を東大OBが占めていました。しかし現在では1割以下となっています。筑波大だけではありません。群馬大、東京医科歯科大、自治医大など、かつて東大出身の教授が多かった大学では、軒並みその割合が低下しています。
私学ナンバーワンの座にあぐらをかいた慶應も凋落傾向
これは、自校だけで研究者・教育者を育てられる力がついたことと、大学病院の経営上の観点から、臨床能力(実際に患者を診察・治療する力)の高い教授が求められるようになったことが背景にあると考えられます。つまり、臨床が得意ではなくても、東大を卒業すれば論文業績だけで教授になれるという時代ではなくなってきているのです。医学部教授になる人が減れば、医学・医療界における東大の支配力は相対的に低下することになるでしょう。
東大だけではありません。慶應大も大学病院の1日当たりの外来患者数が減るなど、凋落傾向にあると報じられました(森省歩「慶應大学病院の失墜~順天堂に並ばれた私学の雄」『文藝春秋』2015年6月号)。その背景には、私学ナンバーワンの地位にあぐらをかき、教授の8割を母校出身者が占める純血主義にあると分析されています。
「新御三家」順天堂の台頭
一方、順天堂大学は天皇の心臓手術で有名になった天野篤教授(現院長)を筆頭に、マスコミでもよく取り上げられる「名医」を教授陣にそろえることで、患者数が大幅に増加しました。医学部の6年間の学費も08年に1000万円近く下げた結果、優秀な学生が集まるようになって偏差値が上昇し、受験界で「新御三家」と呼ばれるほどになりました。
順天堂大を持ち上げたいわけではありません。医学部のヒエラルキーなど、大学の努力によってどうにでもなると言いたいのです。実際、20年近くにわたり医療現場を取材していますが、むしろ地方の国公立大学や有力な私立大学の出身者のほうが臨床に熱心で、いいお医者さんが多いと感じています。
医師として腕を磨き、職業人として充実した人生を送るのに、出身大学はそれほど重要でない時代になってきたのです。
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