毎日のようにエアガンで撃たれ「痛みがわからなくなって…」
和威さんが通っていた中学の近くには、大型のホームセンターにつながる農道があり、加害者たちは“兎狩りロード”と呼んでいた。そこは、加害生徒たちが和威さんをエアガンで撃つ“狩り”の場所だった。
「この道は車がほとんど通らなくて人目がないんです。入学直後の4月から毎日のようにエアガンで撃たれるようになり、とにかく走って逃げ回っていました。最初は加害生徒たちも車が通るときは撃つのをやめていたんですが、徐々に人が見ていても関係なく撃たれるようになりました」(過去の和威さんへの取材)
加害生徒たちは暴行の際、「死ね」「なかなか死なんな」「金づるやけん、生殺しにせな」「お前の親、入院してるんやろ。お前の親、殺すこともできるんやぞ。13歳は人殺してもつかまらんのやけん、大丈夫」などと言いながら、暴行をエスカレートさせていった。
「徐々に街でもエアガンを撃たれるようになっていきました。『家族を殺す』などと脅されていて、それなら自分はどうなってもいいと思っていました。エアガンの弾はもちろん痛いんですが、そのうち、なぜか弾が止まっているように見えてくるんです。痛みがわからなくなって、体を通り抜けるように感じたこともありました」(同前)
「他の生徒は誰も止めてくれませんでした」
家の近くの神社では「サバイバルゲーム」と呼ばれるいじめが行われることもあった。
「加害生徒たちがエアガンで撃ち合うんですが、僕を盾にするんです。盾になっているときに、『撃たない代わりに金をよこせ』と言ってお金を要求し、加害生徒たちはそれを“平和条約”と呼んでいました。この“条約”は学校で暴力を振るわれているときも同じ。暴力をやめるかわりにお金を取るんです。ただ結局、そのうち僕だけが標的にされるようになりました」(同)
また、放課後には通学路上にある歩道橋でも暴行されている。いじめの存在は他の生徒ももちろん把握していたが、誰も助けてくれることはなかった。
「学校の近くに歩道橋があって、階段の中心部分には自転車を押して歩くために使う溝があります。でも加害生徒たちはそこをブレーキもかけずに自転車で降りてきて、歩いている僕にぶつかってきました。すごく痛くて、怪我をしたり、飛ばされたりしました。放課後の時間帯は周りに中学生しかいなかったのですが、他の生徒も誰も止めてくれませんでした」(過去の和威さんへの取材)
和威さんはいじめ現場を案内してくれた時に、車で周辺を回っていると「風景が黒く見える。黒い感じじゃなく、黒いんです」と口にした。いじめによる心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断を受けている。その影響が視覚にも表れているのだ。