今ではメジャーリーガーにまでなったダルビッシュ有投手が甲子園に登場したとき、私は彼の名前をなかなか正しく覚えることが出来なかった。何度覚えようとしても、「ダッシュビル」と言い間違ってしまっていた。ひどいときは「ビルダッシュ」になってしまうことすらあった。おそらく当時の自分にとって「ダルビッシュ」という文字列が、あまり見慣れないものだったからだろう。「ダッシュ」や「ビル」のほうが見慣れた言葉だから、頭の中で勝手に修正してしまったのだ。人間の脳は無意味な文字列を見るとすでに知っている言葉に誤認させてくれる機能があるようで、それが「ダルビッシュ」で起こったのだ。私にとっては「ダルビッシュ」は未知の言葉で、無意味な文字列だったらしい。もちろん今はもうそんなことは起こらない。
外国の人名は普通の日本人にはあまり慣れないものだから、こういうことが起きやすい。女優のドリュー・バリモアの名前だって、ずっと「バリュー・ドリモア」だと勘違いしていた。「バリュー」が自分にとって馴染みの深い言葉だったからだろう。全部マクドナルドが悪い。それにしても「バリュー・ドリモア」、本家とはおよそ似ても似つかない、すさまじい安っぽさだ。昔関西のローカルテレビ番組に「ジャイケルマクソン」というのがあったが、それも番組プロデューサーのお母さんが口にしたマイケル・ジャクソンの言い間違いが由来だそうだ。こういう風に言葉の音が一部入れ替わってしまう遊びを、英語ではスプーナリズムという。まるで難しい学術用語みたいだけど、ただの言葉遊びの名称なので気後れする必要はない。「ジャイケル・マクソンとかバリュー・ドリモアとかそういうやつ」といえばだいたい伝わるんじゃないかと思う。
2000年頃の、黎明期のインターネットで人気だったウェブサイト「スレッジハンマーウェブ」に「苗字と名前の最初の文字を入れ替えてみました」というコーナーがあって、この入れ替えの遊びを募っては発表していた。投稿作品のうち名作の四天王にあげられているのが「マール・ポッカートニー(ポール・マッカートニー)」、「けつだいらまん(松平健)」、「しりもんいち(森進一)」、「コーモン・でぐれ(デーモン小暮)」。そのなかの名作の一つ「けつだいらまん」から、この投稿コーナーの最優秀作品を選ぶ大会をいつしか「けつだいらアウォード」と冠するようになった。四天王の顔ぶれからもだいたい察することができるが、投稿作には下ネタがやたら多かった。この時期のウェブサイトは深夜ラジオのネタ投稿コーナーのノリを濃厚に受け継いでいたのでそんなことになったのだろう。ご愛嬌である。
「苗字と名前の最初の文字を入れ替えてみました」は一応人名がモチーフということで始まったはずだが、いつのまにか人名じゃないものを入れ替えてくる投稿作が出てくるようになり、「べこはまヨイスターズ(横浜ベイスターズ)」、「居間でダラダラ泣かせて(生でダラダラいかせて)」、「ウエってきたカルトラマン(かえってきたウルトラマン)」など技術点の高いネタが上位選出されるようになっていく。極めつけは「俺につけてもそやつはカール(それにつけてもおやつはカール)」で、高校生だった私はこれを見てしばらく思い出し笑いが止まらなかった。
このスプーナリズムという言葉遊びの魅力は、まったく頭を使わなくても出来ることだろう。回文やアナグラムだとなんだかんだでそれなりに脳細胞使うけれど、スプーナリズムは音を入れ替えるだけだし、どことどこを入れ替えるのが正しいと決まっているわけでもないので、言葉さえあればいくらでも作れる。酔っ払ってみんなでやるときとかに適しているかもしれない。しかし、なんでもかんでも入れ替えれば必ず面白くなるというものでもない。「ドリュー・バリモア」の入れ替えは「バリュー・ドリモア」が一番面白いのであって、「モリュー・バリドア」じゃいまひとつだ(「モリュー」の部分だけは少し面白いけど)。スプーナリズムを実行した際に面白くなる言葉を見つけ出す目を養うために、ステップを踏んでいこう。