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 標本整理の仕事を紀子に説明する際に、千鶴が何気なく手に取った標本の束は、万太郎の原点である故郷・土佐の横倉山で採集したもの。表書きにある1886年というと、第19週「ヤッコソウ」のエピソードの頃だ。

 次女の千歳が生まれ、万太郎は全国への長期採集旅行に出かけていた。旅の終盤に高知一帯の植物を集め直す過程でヤッコソウと虎徹(寺田心/濱田龍臣)に出会った。新聞紙に書かれた年号ひとつにもストーリーがあり、「あのときの」と思わせてくれる。こうしたことも、このドラマが丁寧におこなってきた「積み重ね」の副産物だ。

寿恵子の「大冒険」の集大成

万太郎の妻・寿恵子を演じた浜辺美波 ©文藝春秋

「この家で母と父を看取れたから、よかったんだけどね」という千鶴の台詞が物語るように、万太郎よりも先に寿恵子は亡くなっている。しかし、庭に凛と生い茂り、万太郎が寿恵子への愛をこめて名づけたスエコザサや、千鶴が「母の味」だと語る出汁で作った親子丼など、寿恵子の存在もしっかりと刻まれている。

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 そして何よりこの家は、万太郎と家族と、万太郎の植物学を守るために寿恵子が建てたのだ。寿恵子の「大冒険」の集大成が、この家にはある。最後の最後まで「見えんでも、おる」を徹底したドラマだった。

 母が愛した花に始まり、妻への愛を名に刻んだ草で終わるこのドラマには、自然界の理(ことわり)に沿うように、「守って、残して、次の世代につなぐ」というテーマが常に貫かれていた。第1週「バイカオウレン」で描かれた、母のヒサ(広末涼子)が万太郎に渡した命のバトンと、万太郎の原点。そこから万太郎が歩み続けた、植物学者としての人生。最終週「スエコザサ」では、万太郎亡きあとも連綿と受け継がれる「植物学の種」が描かれる。

万太郎の母・ヒサ役の広末涼子 ©文藝春秋

「この先の世に残す」という使命

 第25週で、関東大震災により東京が火の海になる中、万太郎が家族にも手伝わせて標本を背負って避難するシーンは、視聴者の賛否を呼んだ。しかしあの万太郎の狂気と「業」の果てにある、40万点に及ぶ標本に、圧倒される。荷を捨てろと迫る警官に向かって、「自分には使命がある」とばかりに万太郎が叫んだ「この先の世に残すもんじゃ!」という言葉の意味が、積まれた標本に集約していた。