私が思い出したのは1999年W杯でマコーミックが率いた日本代表である。
ジェイミー・ジョセフとグレアム・バショップ。オールブラックスを経験した2人のスーパースターを起用した影響か、日本人選手と外国人選手の間に壁ができた、と関係者に聞いていたのだ。
「その点はぼくらのときとは少し違うかもしれませんね。日本代表になった海外出身選手は、他国でめちゃくちゃ活躍したスーパースターって感じじゃなかったから、日本人選手との間に、距離感はなかったです」
「寛容でありたい」
エディージャパンが「お互いに認め合える場」の一つとして取り組んだのが、国歌である。
廣瀬は2011年W杯のキャプテンだった菊谷崇やリーチと「強いチームとはどんなチームなのか」と話し合った。そこで注目したのが国歌だった。
ラグビーに限らず、強豪国の選手たちはみな堂々と国歌を歌っている。
チームメイトと肩を組んで君が代を歌う。廣瀬にとっても、その瞬間が国を、日本ラグビーを背負って戦う実感がわく特別な時間だった。
ニールソン武蓮傳も語っていた。「それまでもすべての国の国歌は、美しいと感じていました。でもあのときの君が代は特別でした。本当にうれしかったな」と。
君が代を知らない海外出身選手もいた
当時の日本代表には、君が代を知らない海外出身選手もいた。
それはそうだろう。高校時代に留学した選手なら歌う場もあったはずだ。だが、プロとして来日したプレーヤーは君が代を歌う機会なんてなかったに違いない。
そこに気づいた廣瀬は「これは放っておいてはあかん問題や」と直感した。日本ラグビーを背負う――その昂揚感と責任感をチーム全員で共有すべきだと考えたのである。
国家代表なのに、国歌を知らない。チームに認められていないのではないか。ただの“助っ人”と思われているのではないか。海外出身選手の身になって考えれば、そんな不安を抱いてもおかしくない状況だったのである。
廣瀬らリーダーが中心となり、合宿中に国歌の練習を行って、歌詞の意味を教えた。