いまでこそ、私とワイスマン教授の研究成果は、ノーベル賞にも値すると言ってもらえるようになりましたが、当時はまったくと言っていいほど、見向きもされず、研究資金を集めることができませんでした。
いかに素晴らしい研究をしていても、そこに政府や製薬会社などが資金を投じなければ、それで終わりです。これが「死の谷」と呼ばれる問題です。
そこで、シャヒン氏は最新の研究成果を確実に医療の現場にフィードバックするために、ビオンテックを立ち上げたのです。
家族のサポート
900ポンドを忍ばせたテディベアを抱いて渡米した娘も、39歳となりました。
いまでこそ私はCOVID-19ワクチンの開発者として知られていますが、それ以前はゴールドメダリストの母としてしか知られていませんでした。
娘は大学でボートを始めて、北京五輪とロンドン五輪にボート(エイト)のアメリカ代表として出場し、2つの金メダルを獲得しました。
ペンシルバニア大学に入ってくれたので、学内関係者割引で学費が正規の4分の1で済みました。つねづね娘には、大学に行きたかったら、あなたはペンシルバニア大学を選ぶしかないわよ、と言ってきましたから(笑)。
最近、娘にこう謝ったのです。
「アメリカに来たばかりの頃は、お金がまったくなくて、ごめんね。もっとお金があれば苦労しなくてすんだのに」
すると、彼女はこう言ってくれました。
「もし最初からお金があったら、こんなに頑張っていない」
夫も本当に献身的に私を支えてくれました。
アメリカに来て文字通りゼロからスタートした彼は、清掃やペンキ塗りの仕事などをして稼いで、大きな集合住宅の暖房や温水を管理するマネージャーになりました。
朝5時に研究室に出かける私と、学校に通う娘を、車で送り迎えしてくれましたし、私が食事の支度をできないときは、彼が用意をしてくれました。
「マクドナルドで働いたほうが、ずっと時給が高いぞ」
あまりにも私が研究室に通い詰めるので、こんなふうに言って笑いました。
「君の労働時間を時給換算したら、1ドルくらいにしかならないよ。マクドナルドで働いたほうが、ずっと時給が高いぞ」
それでも、私は彼から「掃除をしろ」「料理をしろ」なんて一度も言われたことがありません。なにしろ、PCR検査機が故障してフタが閉まらなくなったとき、すぐ修理しに来てくれたくらいです。
高校生のとき、恩師から一冊の本を薦められました。ハンス・セリエ博士が書いた『生命とストレス』(邦訳は工作舎)という本です。この本を読んで、私はこう考えるようになりました。だからこそ、困難があっても今日まで研究を続けられたのでしょう。
〈自分ができることに集中すること。他人がしていることや他人がするべきことを気にして時間の無駄遣いをするな。他人を変えることはできないのだから〉