今年のノーベル生理学・医学賞の受賞者に選ばれたカタリン・カリコ博士(68)。40年以上にわたってRNAについて研究してきたカリコ氏の人生は波乱万丈であり、研究の意義を周囲から認めてもらえない不遇な時期が長かった。そんな彼女はいかにして苦境を乗り越えてきたのか――。
ここでは『コロナ後の未来』(文春新書、2022年)に収録された、カリコ氏のインタビューを特別に公開する(全2回の2回目/最初から読む)。※年齢・肩書きなどは、刊行時のまま
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RNA研究をスタート
私がRNAについて研究を始めたのは、1978年にハンガリー科学アカデミー付属のセゲド生物学研究所に入って、博士号取得を目指していた頃です。
当時、RNAを研究することは生命科学のジャンルにおいて、世界的に注目されていました。ただし、現在のようにmRNAを合成することはできず、断片的なRNAを作って、それが抗ウイルス効果をもつかどうかを調べていました。
抗ウイルス剤につながる可能性のある研究でしたので、ハンガリーの製薬会社が資金援助をしてくれました。
私は3つのヌクレオチドで構成されるスモールヘアピンRNA(以下、shRNA)を作っていましたが、1977年にshRNAは、細胞内でインターフェロン反応を起こすことがわかっていました。インターフェロン反応とは、ウイルスが侵入したことを周囲に知らせる警報のようなものです。
そこで私はshRNAを作って、抗ウイルス効果を確かめようと考えたのです。ところが、どうやってもRNAを細胞に入れることができません。細胞膜に弾かれてしまうのです。エレクトロポレーション(電気穿孔法)で細胞内に入れることはできましたが、それは人体に使える技術ではなかったのです。
1980年代に入るとハンガリーは深刻な不況に陥り、研究所の運営も難しくなってきました。思わしい研究成果があげられず、研究費も打ち切られました。
1985年、1月の誕生日を迎えると研究所を辞めなければならないと伝えられました。ちょうど30歳のときのことでした。
夫と2歳の娘と一緒に渡米
それでも研究をあきらめるつもりはなく、ハンガリーはもちろん、RNAの研究をしているヨーロッパの大学を調べて連絡をしましたが、まったく良い返事をもらえませんでした。
ようやく返事をくれたのは、アメリカのテンプル大学でした。自分の研究内容を詳しく書いた手紙を送ったところ、生化学科がポスドク(博士後期課程修了後の任期付き研究職)としてのポストを用意してくれるとのことでした。