『奇病庭園』(川野芽生 著)文藝春秋

 言葉が立ち上げる幻想――歌人にして小説家である著者による最新作は、一見して絢爛たる御伽の世界のようであった。

 頭部から角が生え、あるいは鉤爪が、蹄が、全身を覆う鱗が生える。詩の言葉が名前になり、尾を生やした少女たちが駆けては消える。四部に隔てられ、断章の連なりによってなる本作は、そんな人間によく似た存在の様々なる変身と物語を描き出すものである。

 とはいえ本作が描くのは、現実から切り離された幻想では決してない。第29回歌壇賞受賞作「Lilith」が、ハラスメントを題材にしながら同時に確固たる独自の美学を展開せしめていたように、この作家は美学と政治のどちらをも手放さないのだ。美的な言葉によって世界の悍(おぞ)ましさを暴き出してきた作家が編み出す本作は、麗しい箱庭というよりむしろ、残酷極まりない現実への糾弾でもあるだろう。

ADVERTISEMENT

 実際、本作がしばしば描き出すのは、覆い隠された暴力と支配への批判である。

 たとえば少女をモデルとして絵を描き連ねる画家の振る舞いは、芸術というよりむしろ未成年者に対する支配であった。現実の芸術領域で幾度も告発されてきた性暴力と搾取の事例を彷彿とさせるこの画家の振る舞いは、結局のところ少女の人生を破壊する。

 また「愛の心を欠いている」と叱責される少女をめぐる物語として展開されるのは、愛の悍ましさそれ自体であった。少女は「愛」をめぐる教義を持った宗教の異端者だった。執着を、憎悪を、耽溺を推奨し、あるいはそれをこそ愛なのだと騙って強いる教義によって、少女はとある美青年に「与え」られる。キスをはじめとする接触を当然のように強いられ、その意思に反して所有物のように扱われる。異端者としての少女が経験するその世界は、どこまでも残虐である。

 ところでこの教義はそのまま現実における恋愛によく似ているのではないか? 誰もが恋愛をするものだとされ、女性はしばしば男性に所有物のように扱われ、暴力と支配さえも愛の名の下に正当化されていく――要するに少女をめぐる物語は、恋愛規範と性差別が隅々まで浸透した現実の残虐さそのものでもあるのだ。

 とはいえ、ここにあるのは悲惨ばかりでもない。

 花嫁になることを運命付けられていた女性は真珠色の牙を生やし、婚礼から抜け出て行く。妊婦は翼を得て飛びたつ。妊娠出産を期待され、「後継」を求める制度によって縛り付けられる妊婦なる存在の苦悩は錨のようだった。翼は錨から、彼女たちを解き放ったのだ。幻想は告発であると同時に解放でもある。

 だから本作は危険だ。その幻想は現実への批判の刃を、この上なく研ぎ澄まして形作られているのだから。そして私たちはいつしか牙が、鉤爪が、翼が生えることを願わずにいられなくなるのだから。
 

かわのめぐみ/1991年、神奈川県生まれ。歌人・小説家。2018年「Lilith」30首で歌壇賞受賞。19年より小説家としての活動を始める。歌集に『Lilith』、小説集に『無垢なる花たちのためのユートピア』、『月面文字翻刻一例』。
 

みずかみあや/1992年生まれ。文筆家。主な関心対象は近現代文学とクィア・フェミニズム批評。編著『フェミニズム文学ガイド』。