『ドゥルガーの島』(篠田節子 著)新潮社

 インドネシアの小島で日本人ダイバーが海底遺跡を発見する。果たして世紀の大発見か、それとも偽物か――。多彩な題材を幅広いジャンルで描いてきた著者の最新作は、海底遺跡の謎を追いながら、インドネシアの重層的な文化を紐解いていくような冒険小説だ。

「与那国島の海底に遺跡らしきものがあるというニュースを見て、これを題材に伝奇小説を書きたいと温めていたのですが、調べてみたら自然石だと分かりました。ただ、海に沈んだ遺跡は他にも実在するので、だったら“ボロブドゥール”を沈めてみようと思ったんです。というのも、以前取材で訪れたインドネシアのボロブドゥール遺跡がとても印象的で。自然石の上に立つ建造物が素晴らしいんです。

 それに、あの地域はイスラム復興主義が浸透していますが、仏教遺跡であるボロブドゥールが破壊されずにきちんと残されている。現地の若いガイドの方が、『これも私たちインドネシアの歴史なので、見て知ってほしい』と仰っていて、その見識に感心しました」

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 ダイビングのためにネピ島を訪れた加茂川一正は、海底にボロブドゥール遺跡の仏塔にそっくりな塔を発見する。本物の遺跡だと確信した彼は、大手ゼネコンを早期退職して大学の非常勤講師に転職。文化人類学者の人見淳子、水中考古学者の藤井と共に調査に向かう。だが、塔を祀る村人たちは、町のイスラム教徒たちから呪術を信じる野蛮な「首狩り族」と蔑まれており、遺跡の話も一蹴される。

「インドネシアは人口的には世界最大のイスラム教国ですが、多民族国家ですし、もとはインド由来の王朝がもたらした仏教とヒンドゥーの神々が信仰されていました。それに、占いや神霊も、禁止されつつ生き残っているんです」

 加茂川は、村の女性たちが夜の海に潜り、塔の周りで不思議な儀式を行っているのを目撃。禁を犯して自分も海に潜るが、その度に災難に見舞われてしまう。さらに、火山の活動が活発化して避難指示が出され、調査は難航する。

「試行錯誤する中で複数のピースが集まってきて、立体視画像(ステレオグラム)のように次第に何かが浮かび上がってくる。そんなふうに、今回は自分が今まで書いてきたミステリーとは違う形で書こうと思いました」

篠田節子さん ©文藝春秋

 その言葉通り、障壁にぶつかりながらも発見を重ね、通説を検証していくうち、神秘的でオカルト的にも見えた物事が徐々に現実的なものとして立ち上がって来る。村の人々が名を口にすることさえ恐れる女神とは。海中の塔は一体何なのか。

 遺跡発見というロマンに賭け妻に逃げられてしまう加茂川だが、その前向きなタフさはどこか憎めない。

「こういう時に役に立ってくれる男性が、夫としていい人物かというと、必ずしもそうではないわけで(笑)。同窓会や勉強会に行くと海外赴任経験のある方も多いですが、アジアや中東で仕事をしてきた人は、欧米に行った方々が屈折を抱えて帰って来るのとはまた違い、メンタルが逞しくなるみたいですね」

 火山噴火の危機が迫り、物語はクライマックスへ。村の老女が下した託宣がもたらす結末とは――。

「精霊信仰や呪術のようなものが根っこにあって、その上に大宗教が乗っているという構造ってとても面白いと思います。考えてみれば、日本でもお盆など祖霊信仰で本来は仏教と関係ないものですが、誰も疑問を感じませんよね。文化と信仰と生活って思っている以上に複雑に絡み合っていて面白いですね」

しのだせつこ/1955年東京生まれ。97年『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。2020年紫綬褒章受章。