2016年7月、「スパイ」容疑で北京市国家安全局に拘束された元日中青年交流協会理事長の鈴木英司氏。中国で約6年間、熾烈な居住監視、収監の日々を過ごし、2022年10月11日、刑期を終えて帰国した。30年にわたり日中友好に関わってきた鈴木氏は、なぜ突然収監されたのか。いま中国で何が起きていて、われわれは日中関係をどう考えるべきなのか。
ここでは、習近平政権下で拘束された鈴木氏が収監、出所までの過酷な体験を赤裸々に綴った『中国拘束2279日 スパイにされた親中派日本人の記録』(毎日新聞出版)より一部を抜粋。鈴木氏は6年以上にわたり、どのような刑務所生活を送っていたのだろうか――。(全2回の2回目/1回目から続く)
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国際色豊かな刑務所生活
2審の判決が出て20日後、私は日本で言う刑務所に当たる「北京市第2監獄」に収容された。中には外国人用の施設があった。スパイ罪は数えるほどで、他の事件の囚人が多く収監されている。ナイジェリア人が最も多く、その他にパキスタン人、台湾人、ロシア人、アメリカ人、韓国人、オーストラリア人(華僑)、カナダ人(華僑)、モンゴル人、パプアニューギニア人、アゼルバイジャン人、アフガニスタン人らがいた。日本人は私を含めて5人だった。大部分が麻薬の運び屋で、彼らは無期懲役となっていた。中国はアヘン戦争の経験から麻薬関係の罪が重い。
刑務所内の雰囲気は拘置所と比べると随分自由であった。警官も親切で、気立てのいい人が多かった。刑務所は3階建てで、私は2階だった。部屋は2段ベッドが6台置かれており、12人が入れる。
私が入った部屋の班長はロシア人だった。北京で大げんかをして逮捕され、懲役9年。几帳面で整理整頓にうるさい男だった。彼が黒人嫌いのため、この部屋には黒人はナイジェリア人ひとりしかおらず、他に台湾人と日本人がそれぞれ2人、インド人、カナダ人、モンゴル人、アゼルバイジャン人、パキスタン人、アフガニスタン人が1人ずついた。したがって部屋では英語が使われていた。意味を忘れてしまっていた単語も多く、改めて自分の不勉強を恥じた。