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スポーツ観戦は監視の警察官も黙認

 また日中戦争、朝鮮戦争などを描いた番組や映画では、共産党がいかに中国人民を救ったかが描かれていた。共産党についての知識を持っている私からすれば、その礼賛ぶりには呆れた。すべてが形式的であった。形式主義は共産党が1980年代から問題にしているはずなのに、ここでは今もって続いている。

 たまに誰かが勝手にチャンネルを替えて、サッカーやテニスの中継を見ることもあった。私が収容されていた2階の囚人の8割がナイジェリア人で、父がハイチ系アメリカ人の大坂なおみ選手が勝つと、彼らは大騒ぎをしていた。私が教えた日本語で「バンザイ!」と叫ぶ人もいた。

 我々のスポーツ観戦はなぜか監視の警察官も黙認していた。監視カメラで見て分かっているはずなのだが。刑務所の上官が抜き打ち検査に来る時があり、その時だけは警察官が私たちに耳打ちをしてくれ、ニュースや教育番組を見るようにしていた。持ち場で問題が起きると、警察官の責任者が罰金100元を科せられるらしい。

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 受刑者の間では、大坂なおみ選手に限らず日本への好感度が高かった。特に日本が中国との試合で勝つと、いつも大きな拍手が沸き起こった。また、安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件では、私にお悔やみを伝えてくれる人もいた。

2010年6月、中国・錦州で植林活動に参加する著者の鈴木氏。左から4人目(写真=著者提供)

買い物から減刑まで、刑務所内の不可解なポイント制度

 刑務所には、私と先に触れた「もうひとりの日本人スパイ」の他に3人の日本人がいた。いずれも薬物の運び屋として現行犯で拘束されたという。中国では薬物犯罪は重罪になる。彼らは2010年あたりから刑務所暮らしになっていた。そのうちのひとり、76歳の男性はかつて一流企業に勤めていたとのことで、冤罪だと主張していた。

 私が入った刑務所の施設は外国人専用で、フロアには12人部屋が10室あり、前述したように、それぞれに2段ベッドが6台あった。昼間は部屋の鍵は掛かっておらず、行き来するのも自由だった。夜間は施錠された。

 定期的に菓子や果物、粉ミルク、フルーツなどを購入することが許された。所持金などから差し引かれる形で購入できた。「ポイント制」のような制度もあった。教材の箱詰めなどの労役をすれば、それに応じてポイントがもらえた。ポイントは物品を購入する現金の代わりではなく、オレンジやコーヒーなどの高級な嗜好品を購入するための「資格」のようなものだった。入所間もない頃はポイントがなく、何も買うことができなかった。